食べ物の奥にあるストーリーを知ってほしい。原料からこだわる味噌づくりとは

大豆と麦の在来種を栽培し、それらを加工して販売している加藤潤一。デザイナーとして第一線を走り続けてきた彼が、移住して農業を始めることになったきっかけは何だったのか。彼の目指す食のあり方や、農業とデザインを互いに活かした現在の事業について聞いた。

【プロフィール】加藤 潤一(かとう じゅんいち)
2011年に宮崎県へ移住し農業を始める。しばらく個人として活動していたが、2018年に事業化。株式会社ここくの代表取締役となる。宮崎に移住するまではデザイナーとして活躍していた。静岡県浜松市出身。

自分の手で原料から味噌をつくる

ー現在の事業について教えてください。

宮崎県で在来種の大豆や麦を栽培し、その加工品である味噌などを製造・販売しています。原料から全て自分の手で作ることにこだわり、2年ほど前から塩の製造も始めました。在来種というのは品種改良のされていない日本に古くからある種のことで、先人たちがずっと引き継いできたものです。農業を始めた時に古代大豆という在来種に出会ったことがきっかけで在来種の存在を知り、その魅力に惹かれました。各地域に様々な在来種がありますが、僕が育てているのは宮崎県で継がれてきた種になります。また、宮崎に移住してくる前からずっと行っていたデザインの仕事にも引き続き取り組んでいます。

 

ー農業を始めた際に、どうして大豆を育てることを選ばれたのですか?

加工品になりやすいという理由で大豆を選びました。大豆は納豆、豆腐、油揚げなど本当に様々な食品に加工されますよね。加工品であればパッケージングするので、自分の強みであるデザインも活かすことができると思ったんです。実は大豆を加工して販売しようとすると、豆腐だったら豆腐専用の厨房を構えなきゃいけないし、味噌だったら味噌専用の厨房を構えないといけないんです。それに保健所の許可も加工品ごとに取る必要がある。そういうわけでいくつもの加工品を一気に進めることはできないと感じて、一番加工が簡単そうだった味噌から始めました。

 

ー味噌を作っていく上で大変だったことはありますか?

塩の調達ですね。そこら辺に売っている塩だと美味しくならないんです。平釜で、薪で焚いたような塩を使いたいなと思っていたのですが、これがなかなか難しくて。知り合いでそういった塩づくりをしている方が居たので、最初の頃は彼から仕入れていたのですが、塩づくりというのは体力と根気のいる大変な仕事なんです。海に出て沖まで綺麗な海水を汲みに行く。海水を持ち帰ってきたら今度は3〜4日間徹夜で薪をくべ続けなきゃいけない。彼が継続的に作り続けるのは難しいということで、最初は海水を汲みに行く作業を僕が担うようになりました。それでも味噌の売れ行きに対して塩の製造が追いつかなくなってしまって。一昨年の暮れくらいに、これはもう塩釜も作って全部自分でやるしかないなと。塩釜を作り、製造許可も取って、やっと塩を安定的に作れるようになりました。

今は逆に、大豆などの原料の方が足りなくなってきてしまいました。味噌は売れるんですが、その材料を確保するために、これまで通り栽培しつつも新たに収穫増に向けて投資していくという両立に苦戦しています。

塩釜の様子

 

食べ物の奥にある「おはなし」を知ってほしい

クラウドファンディングの記事で、脱穀作業でご自身の肺にダメージを受けてしまっていることを拝見しました。さまざまな課題にぶつかりつつも、在来種である古代大豆にこだわるのはどういった背景があるのでしょうか?

一般的な大豆って大粒で丸々とした形なんですけど、今僕が育てている古代大豆は粒が小さくてちょっと平べったい形です。草も普通の大豆より高くなって倒れてしまうのが特徴で、粒が小さいから収穫量も減ってしまいます。でもすごく美味しいんです。他のもっと育てやすい品種にしないのは、「おはなし」を大事にしていきたいからです。消費者のみなさんにも、粒の大きさや色かたちといった効率的・物質的な魅力ではなく、だれがどこでどんな風に育てたとか、昔から引き継いできた在来種という「おはなし」に注目した食品の選択をもっと知ってもらいたいと思っています。

 

ー消費者の方に「おはなし」を伝える上で工夫していることはありますか?

種と出会ったときの話や、実際の農業についてまとめたコンセプトブックを作っていて、うちの味噌を初めて買ってくださった方に渡すようにしています。ただ販売の際にすごく押し出しているわけではないです。美味しく食べていただくことが第一で、調べてみたら実は「おはなし」に溢れた味噌だったという形でいいと思っているからです。パッケージデザインも、話題性より長期的に買ってもらいたいという想いがあるので、派手にしすぎず、飽きないデザインを心がけています。

 

ー専業農家になる道もあったと思いますが、デザインも続けられていますよね。

最初はデザインは辞めて農業だけしようと思っていました。でも、移住してからもデザインの依頼をしてくださる方が多くて。僕自身もデザインから少し離れてみたことで、デザインも楽しかったことに気づけました。農業もデザインも、必要としてくれている人がいるなら、どっちもやればいいかなと思って、現在の形になりました。あとは、デザインの方が単価がいいんですよね。なので、農業でなかなか売り上げが上がらなかった時期には、デザインで稼いだ分を農業に投資していました。

 

ー農業とデザイン、互いが活きていることを感じる場面はありますか?

デザインの方でクライアントから相談を受けるときに、デザイン以外のこともお話できるようになりました。仕入れ価格や営業の仕方ですね。自分が事業者になったことで、経験に基づいてそういった相談にも乗れるようになりました。クライアントと同じ事業者という視点でお話しできるデザイナーはそういないんじゃないかと思います。

農業の方にデザインが活きていると感じるのは、パッケージやチラシをすぐに作れることですかね。急に「来週このイベントに出店して欲しい」という依頼があっても、イベントに合わせてすぐに自分で作れるので、そこが強みかなと思います。

 

お客さんとのコミュニケーションから「豊かさ」が生まれた

ーずっとデザイナーをされていたところから、宮崎に移住して農業をしようと思われたのにはどんな背景があるのでしょうか?

デザイナー時代はマンションの一室でずっと画面に向かって仕事をしていました。特にwebデザインの仕事が多かったので、画面の中で終わっていく仕事が多く、作ったという実感があまりなかったんです。完成品を手にすることもなく、半年かけて作ったサイトがいつの間にか消えていることもありました。そういう状況の中で、虚無感・孤独感が生まれてきてしまって。そんな時にたまたま食に関する本を読んで、食に興味を持ちました。それまで、どんな人がどんな景色の中で作った食べ物かということに自分は全く興味を持ってこなかったなと思って。それに気づいた時に、食材の向こうの豊かさに目を向けていきたいなと感じたんです。食について調べるうちにいろいろな問題があることに気づいて、その問題を解決していきたいなと思っていたのですが、自分で畑に立ってみないとわからないなというところまできたので、実際に農業をしたいと思うようになりました。そこで妻の実家である宮崎県に移住して農業を始めました。

 

ーどのくらいの広さの畑を何人で担当されているのですか?

1.9ヘクタールの畑を持っています。わかりやすく言えば、190m×1kmの土地ですね。収穫の時期は少し人を雇うこともありますが、基本的には1人で耕しています。一番大変なのは草刈りです。月に1度草刈りをしますが、面積がすごく広い上に法面と呼ばれる斜面になっているところも多いので、毎回苦労しています。

 

ー無農薬・無肥料の「自然栽培」にこだわられていると伺いました。

自然栽培を選んだ理由はいろいろあるけれど、販売するにあたって安全かどうかわからないものは出したくないというのが一番大きな理由です。農薬を使っているものが危険だとは言いませんが、安全だとも言い切れないと思っているので、責任を持って販売することはできないなと。あとは、農薬を撒くという作業そのものがコストになるという理由もあります。広い土地なので、機械も必要ですし、時間と労力もさらにかかってしまいますからね。

大豆の産毛が原因で肺への健康問題が発生している

 

ー商品を購入される方はどんな方が多いですか?

30代から40代の方が多かったのですが、最近50代60代の方も増えてきました。お客さんからはインスタグラムでよく「美味しい」という感想が届きます。お母さんが娘さんに教えてもらってうちの味噌を買うようになったとか、逆にお母さんに教えてもらって娘さんが使うようになったというお話を聞くとすごく嬉しいですね。うちの味噌を使い始めてから味噌汁が苦手だった子どもが飲めるようになりましたとか、子どもがおやつとして味噌を食べちゃいますという声もいただきます。
デザインの仕事だけをしていた時に感じていた虚無感は、農業を始めてすぐに消えました。作ったものが手に取れますし、お客さんの顔も見られるので。大変なことも多いですが、美味しいと言ってくださることが本当に嬉しいです。

 

つながりのある社会を目指して

ー「ここく」という社名にはどんな想いが込められているのでしょう?

「個と個がつながって濃くなる」という意味があります。東日本大震災の時に、僕は関東にいて被災しました。その日の夜や次の日はどこに行っても食べ物が売っていなくて、お金があっても食べ物を売ってくれなければ意味がないことを感じたんです。それまでは「買ってあげる感覚」があったけれど、「生産者が作ったものを買わせてもらっている感覚」になって、自分で食べ物を作れないことに弱さを感じました。もともと興味のあった自給自足をしたいという想いが強くなって、移住したという背景もありました。

でも実際に農業を始めて、完全な自給自足はないということに気づきました。土地や機械を借りたり、作業を手伝ってもらったりしながら成り立っています。いろんな人との縁や彼らの協力があってこそ続けられているわけで、一人では絶対にできない。自分で食べ物を作る能力が足りていなかったのではなく、食べ物を作っている方との関係性がお金でしかなかったことに弱さというか危うさがあったんだと気づきました。そういうわけで個人主義ではなく、個人と個人がもっと深くつながってより濃くなっていくようになればいいなと思って付けた社名です。

 

ー最後に、今後の事業展開と目指している社会について教えてください。

味噌製造業、塩製造業に続いて、2021年から醤油の製造許可を取得したので、現在扱っている商品に加えて醤油も販売していく予定です。また、これまで事務所として使ってきたところで販売を始めようと思っています。僕がいる時間しか開けていなかったのですが、従業員が1人増えて常に誰かいる形になったのでお店として開けられるように準備しています。長期的には、在来種やうちの味噌を他の人に受け継いでいける仕組みを作りたいです。今は自分の身体に負担をかけているからこそ成立している部分も大きいので、そこをうまく整備していきたいです。

さらに、見た目とか味の物質的なスペックを上回る「おはなし」の価値観を付け加えられるといいなと思っています。消費者の方が食べ物を選ぶ時の基準として、見た目や味といった物質的なところだけでなく、食べ物のその奥の豊かさである「おはなし」にも注目してもらえるようになると嬉しいです。

 

株式会社ここく https://cococu.jp/corp/

クラウドファンディング挑戦中 https://readyfor.jp/projects/53490

 

interviewer
堂前ひいな

幸せになりたくて心理学を勉強する大学生。好きなものは音楽とタイ料理と少年漫画。実は創業時からtalikiにいる。

 

writer

細川ひかり

生粋の香川県民。ついにうどんを打てるようになった。大学では持続可能な地域経営について勉強しています。