大企業は社会課題解決に合理性を見出だせるのか
本レポートは、「再分配のはじまり」をテーマに開催されたソーシャルカンファレンス『BEYOND2025』を起点として編纂されたものである。
『BEYOND2025』は、経済成長が必ずしも富の再分配をもたらさない現代社会を前提に、「いかにしてリソースを必要な場所へと届け直すことができるのか」という根源的な問いから構想された。
なお、本章に通底する思想的背景および全体像については、以下のレポートを参照されたい。もくじ
1. はじめに:大企業が直面する壁とは
近年、大企業とスタートアップが協働して新たな価値を創出する「オープンイノベーション」が盛んに語られている。特に、社会課題領域では、オープンイノベーションによる新たなアセットの活用によって従来の行政・NPOでは解決できなかった問題にアプローチできる可能性が期待されている。しかし現実には、こうした協業や新規事業の立ち上げが、思うように成果へつながらないケースが少なくない。大企業の内部では評価制度や意思決定プロセスが障壁となり、スタートアップ側には大企業の速度感や文脈に歩調を合わせる難しさがある。また、社会課題領域特有の「成果が短期では可視化されにくい」という特性が、両者の期待値をずらし、協働を複雑にしてしまう。
そこで、本稿では、BEYONDセッション「大企業は社会課題解決に合理性を見出せるのか」における議論を手がかりに、大企業が社会課題領域で新規事業を推進する際にどのような壁に直面するのか、そしてその壁はどのような構造から生まれるのかを考察する。特に、大企業 × スタートアップ × 自治体という三者連携が広がるなかで、どのように事業の立ち上がりを支える仕組みが設計できるのかを考察する。さらに、事業担当者が組織の制約の中で工夫し得るアプローチや、個人のパッションが組織変革の起点となり得る可能性についても検討する。
2. 大企業の新規事業・オープンイノベーション立ち上げにおける課題
一般に、複数のプレイヤーが協働して事業を推進する際には、それぞれが置かれた制度的・組織的立場の違いから、構造的な摩擦が生じやすい。特に、大企業においては、株主に対する説明責任や既存事業との整合性、社内評価制度といった制約のもとで意思決定が行われるため、収益性や確実性の高い事業への投資が優先されやすい。一方で、社会的責任を担う主体として、短期的な経済合理性だけでは評価しきれない社会性の高い事業への関与も同時に求められており、大企業は常に経済性と社会性の両立という立場で事業推進を行わざるを得ない。このような要請は、大企業内部の組織構造や意思決定プロセスを複雑化させる。部門ごとに異なる評価指標やKPI、リスク許容度、意思決定権限の分散といった組織論的要因により、新規事業や社会性の高い取り組みは、意思決定に時間を要しやすく、結果として機動力を欠く傾向がある。こうした制約を補完する手段として、大企業はスタートアップとのオープンイノベーションや、社外の起業家的主体との連携を通じて、新規事業開発や事業創出を試みている。
一方、スタートアップは、少人数組織であることが多く、短期的な株主説明責任も比較的限定的であるため、経営者や少数の意思決定者によって迅速な判断と行動が可能である。この柔軟性とスピードは新規事業創出において大きな強みとなるが、同時に、将来の急成長を前提とした高い不確実性や、意思決定の属人化といったリスクも内包している。
また、自治体をはじめとする行政主体は、営利を目的とせず、公共性の高い社会課題に取り組むことが可能である一方、税金という公共資金の使途について市民への説明責任が厳しく求められる。そのため、意思決定は慎重にならざるを得ず、手続きや合意形成に時間を要するという特性を持つ。
こうした状況において、社会性と経済性を求め、大企業がスタートアップ、さらには行政と連携を行おうとすると、各プレイヤー同士の時間軸・評価軸のずれによって摩擦が生じる。このように、大企業、スタートアップ、行政はいずれも異なる組織原理・評価軸・時間軸のもとで行動している。社会性と経済性の両立を目指して大企業がこれらの主体と連携しようとする際、意思決定速度、リスク許容度、成果の評価方法といった点でのズレが顕在化しやすく、連携そのものが摩擦を伴うプロセスとなる。特に、大企業とスタートアップの間では、スピード感や不確実性に対する許容の違いが、相互不満や期待値の乖離として表出するケースも少なくない。こうした組織内の意思決定の難しさと外部にまたがる意思決定の難しさや、複数主体間の評価軸の違いに起因する連携の困難さは、個別事例にとどまらず、現代の新規事業開発や社会課題解決型ビジネスにおいて広く共有されている構造的課題である。
一方で、社会課題領域では、この一般的な課題に加えて、より深い構造的な問題が存在する。社会課題は複数の要因が複雑に絡み合った複雑な構造をしている場合が多い。こうした領域においては、成果が短期には現れず、影響が徐々に社会に広がり社会構造の変化によって課題が解決していく場合が多い。こうした場合には、成果を短期的に定量的な指標として評価することは難しい。また、社会課題領域においては、受益者と支払い主体が一致しない場合も多い。例えば、児童虐待の領域では、虐待を受けている児童(受益者)はサービスについての支払い能力を有しておらず、行政・NPO・地域住民などの他の主体による支払いが不可欠となる。こうした連携の複雑化によって、価値形成のプロセスは長期化しやすく、成果の可視化をより難しくする。社会課題領域のこうした特性によって、社会課題領域による経済的・社会的な成果が可視化されるまでにより長い時間がかかることが多く、そもそも評価自体が難しいという問題もある。
社会課題領域のこうした特徴は、大企業の制度設計としばしば強く衝突する。企業内部では、年度ごとの予算管理やステージゲート型の審査、短期的なPL評価が一般的であり、新規事業にも数年以内の具体的成果が求められる。しかし、社会課題領域の価値創出はその時間軸とは異なり、投入したリソースがどのように回収されるのかが短期では見えにくい。そのため、社会課題領域の新規事業は、企業側からは「成果が上がっているように見えない」「事業性の説明が難しい」と判断されやすく、立ち上がりの段階で停滞しがちになる。
このように、社会課題領域における新規事業・オープンイノベーションの際には、組織内意思決定の難しさ・連携の難しさといった一般的な課題に加えて、社会課題領域そのものが持つ構造的な難しさも生じ、複数プレイヤー同士の連携をより難しくする。
それでは、このような社会課題領域における新規事業立案・オープンイノベーションの際に大企業内で障壁になるものは何であるだろうか。次章では、BEYONDセッション「大企業は社会課題解決に合理性を見出せるのか」における議論を手がかりに考察する。
3. 評価軸のずれを生み出す背景
前章での議論から、大企業とスタートアップ、行政同士の連携を難しくするのは、各プレイヤー同士の意思決定の時間軸・評価軸の違いに起因している可能性が示唆された。また、社会課題領域では、時間軸がより長期的になるため、大企業の短期的な利益の説明責任としばしば衝突することを指摘した。それでは、社会課題領域において複数プレイヤー同士の連携を強固にするためには、大企業側の評価軸はどのように再設計できるのだろうか。
BEYONDセッション「大企業は社会課題解決に合理性を見出せるのか」では、大企業の評価軸は単なる制度上の仕組みではなく、経営層の価値観、組織制度の設計、そして長年の事業運営から形成される組織文化という三つの層が互いに影響しあいながら形づくられていることが示唆された。
経営層は、どの時間軸で価値創出を捉えるのか、どのようなリスクを取るべきか、何をもって「成功」と見なすのかといった判断を通じて、企業として優先すべき価値を暗黙的・明示的に示している。これらの判断は、中期経営計画や投資方針といった形で組織全体に共有され、評価の方向性を規定する。組織制度の設計がその価値観を具体的な行動へと翻訳する役割を果たす。予算配分の仕組み、ステージゲート、評価制度、リスク管理プロセスなどは、現場にとって「どのような行動が合理的か」「何に時間と資源を割くべきか」を日常的に選別する装置として機能する。制度は中立的な仕組みではなく、特定の価値観を実行可能な形に落とし込むための実践的な枠組みである。経営者による意思決定と制度の運用が長年にわたって繰り返されることで、組織文化が形成される。過去の成功体験や失敗経験は、「この会社では何が評価されるのか」「どこまで踏み込んでよいのか」といった暗黙の前提として共有され、現場の判断や行動様式に強く影響を与える。組織文化は、明文化されることは少ないものの、評価軸を最も強固に定着させる要因の一つである。
ここで重要であるのは、こうして形成されてきた評価軸は大企業が大企業として機能し続けるために合理的に形成されてきた結果であるという点である。多様なステークホルダーに対する説明責任、巨額の資本を扱うことによるリスク管理の必要性、既存事業との整合性確保といった要請のもとで、経営層の価値判断、制度設計、組織文化は相互に補強されながら積み重なってきた。
それでは、こうして形成されてきた評価軸を打ち破り、社会課題領域において強固な連携を推進するためにはどうすればよいのだろうか。
4. 新規事業・オープンイノベーションの協働を可能にするために
これまでの議論により、大企業内において形成されてきた評価軸は経営層・組織制度・組織文化という三層が相互に作用しながら形成されてきたことが分かった。
こうして形成されてきた大企業ないの評価軸を超えて、他のプレイヤーとの連携を強固にするために最も最初に着目すべきなのは経営層の巻き込みである。理由は明確で、経営層が企業の方向性を決定し、意思決定の速度や制度運用・文化形成に最も大きな影響を与えているためだ。
セッションにおいても、複数の登壇者が「経営トップがその事業を語り始めた途端に意思決定が一気に進んだ」と述べており、経営層が新規事業に意義を認めることが、社内の評価基準に影響を及ぼし、社会課題領域に必要な「長期の視点」を許容する契機になることが示されていた。すなわち、経営層が理解し、支持を表明することは、評価軸の第一層を変える行為であり、以降の制度や文化の変容を促す前提条件となる。では、経営層を巻き込むために事業担当者は何をすべきか。セッションでは、担当者が「翻訳者」として振る舞う重要性が指摘されていた。これは、スタートアップや現場で生まれる知見・課題感・生活者の声など、抽象的で数値化しにくい情報を、そのまま持ち込むのではなく、大企業の意思決定文脈に沿う形へと意味づけし直す役割である。社会課題領域では短期的成果が表れにくく、従来型の説明では説得力を持ちづらい。そこで担当者は、現場での気づきを企業戦略・中長期価値・社会的信用といった経営層の関心領域へ接続し、両者の認識の隔たりを埋める必要がある。こうした翻訳は、経営層が合理性を理解し、事業推進に前向きな立場を取るための基盤となる。
経営層の理解が得られたとしても、それだけで事業が前に進むわけではない。次に必要となるのが、組織制度の調整である。大企業の制度は、短期PL評価、年度予算、ステージゲート型の審査といった形で、日常の意思決定を規定する役割を果たしている。これらの制度は既存事業の安定運営には適している一方で、社会課題領域のように、価値が徐々に立ち上がり、効果が長い時間をかけて蓄積されるタイプの事業とは相性が悪い。そのため、セッションでも「制度を変えることが文化を変えるより早い」という指摘がなされていた。
たとえば、探索フェーズにおける柔軟な予算運用、小規模な実証のための例外枠、新規事業に特化した評価基準など、制度に余白を持たせることで、社会課題領域に固有の時間軸と不確実性を組織が扱えるようになる。制度が変わることで、現場は挑戦しやすくなると同時に、組織全体が新しい価値観に触れる機会が増え、長期的価値を許容する土壌が生まれる。こうして、経営層が理解を示し、制度が調整されると、徐々に組織文化にも変化が生まれる。セッションで登壇者が述べていた「文化は後からついてくる」という言葉は象徴的である。文化はもっとも変わりにくい層だが、制度の変化や成功事例が積み重なることで、短期評価に偏重した暗黙の前提が弱まり、長期型の価値創出を認める空気が広がっていく。
一方で、こうした大企業内での評価軸変化の起点を辿ると、必ず現場の担当者一人ひとりの問題意識に行き着くことが分かる。社会課題領域の事業は、地域の困りごとや生活者の実感といった、数値化しにくい小さな気づきから始まることが多い。セッションでも、最初のきっかけは「社員の素朴な疑問」や「担当者が感じていた違和感」であったと語られており、組織が大きく動いた背景には必ず個人の経験に根ざした問いが存在していた。こうした「個人のパッション」は、三層のどこにも属さないがゆえに、三層すべてを動かす唯一の力となりうる。
担当者のパッションは、経営層に事業の意義を伝える際の推進力となり、制度を変えるための論拠をつくり、文化の揺らぎを生み出す小さな成功例を形づくる。経営層の巻き込みも、制度の調整も、文化の変容も、それぞれ異なるレイヤーで起こる出来事に見えるが、実際には担当者が抱いた問題意識がそれらを結びつけ、動かし続けている。つまり、構造を変えるうえで最初に必要なのは複雑な仕組みではなく、「なぜこの課題に向き合いたいのか」という個人の問いであり、その問いが社内外の関係者を巻き込む原動力になる。
この意味で、社会課題領域の協働は、制度論や組織論だけでは説明しきれない人から始まる変化を本質に含んでいる。経営層・制度・文化という三層の評価軸を変えていくプロセスは、最終的には担当者のパッションによって接続され、前へと押し出される。だからこそ、大企業とスタートアップが互いに歩み寄り、長期的価値を共有するためには、個々の担当者が持つ問題意識を丁寧にすくい取り、そのパッションが組織を動かす力へと変わっていく環境を整えることが重要になる。
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執筆
野田 裕紀
taliki シンクタンク事業部リサーチャー
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