トーゴと京都、異なる文化を行き来して見えてきた生き方
インタビュー

トーゴと京都、異なる文化を行き来して見えてきた生き方

2022-05-05
#カルチャー #ものづくり

アフリカ・トーゴ共和国と京都の職人文化を組みわせた商品開発に取り組んでいる、株式会社AFURIKA DOGS(アフリカドッグス)。就活中に違和感を覚えてトーゴへ行ったことをきっかけに新たな生き方を見つけた代表の中須俊治さんに、起業するまでの経緯、アフリカと京都をつなぐビジネスの価値、目指している社会について聞いた。

【プロフィール】中須 俊治(なかす としはる)
株式会社AFURIKA DOGS(アフリカドッグス)代表取締役。大学在学中に単身アフリカへ渡航し、ラジオ局のジャーナリストとして番組制作に携わる。大学卒業後、京都信用金庫に入社。嵐山地域で営業を担当した後、独立・起業。著書『Go to Togo 一着の服を旅してつくる』(烽火書房)

 

誰も見たことのない景色を見たい

ー事業概要を教えてください。

アフリカと京都の職人文化を掛け合わせて、商品やサービスづくりをしています。西陣で仕立て屋さんを運営する傍ら、商品が出来あがるプロセスを体験できる企画やワークショップを主宰したり、トーゴまで渡航して参加者の人生を見つめ直す機会となるような研修も実施しています。

 

ートーゴとの関わりを持つことになったきっかけを教えてください。

大学時代に先輩たちが当然のように有名企業に就職していくこともあり、ぼくも何の疑いもなく就職活動をしていました。しかしあるとき「多くの人が有名企業を選んでいるけれど、それは自分にとっても本当に良い選択なのか?」と立ち止まりました。そして悩んだ末に自分が納得できる進路を選びたいと、休学して海外に行くことを決心しました。渡航先を探していると、偶然トーゴという国でラジオDJの募集があり、面白そうだと思って応募してみたところ、たまたま採用されました。

当時はトーゴの場所さえ知らなかったし、公用語であるフランス語も話せませんでした。「どうせ言葉を話せないなら」と、、現地の言葉を使うように心がけました。すると他の海外からのメンバーと比べて、明らかに現地の人たちと仲良くなるスピードが早かったんです。「郷に入っては郷に従え」とは言いますが、こちら側の在り方やスタンスが試されているように思いました。結果として、ラジオ局では東日本大震災をテーマにした番組を4本つくることができました。

トーゴでの経験から、もちろん言語スキルも大切だけれど、「いかにして地域のなかで人と関わっていくか」ということが、ぼくの人生のテーマのひとつになりました。トーゴへの渡航はグローバルな目線というよりも地域の中でどれだけ主体的に動けるかを考えるきっかけとなり、帰国してから自分の地元である京都と向き合いたいと京都信用金庫に就職しました。

 

京都信用金庫ではどのようなご経験をされたのでしょうか?

京都信用金庫では、西田さんという染め職人の方との運命的な出会いがありました。当時、ぼくが西田さんを担当していたときは、パリコレクションで発表するものを制作されていました。京都の嵐山エリアにある工房に世界最高峰のファッションの祭典で評価される技術があることに心を動かされました。

「京都の職人」といえば、昔ながらのやり方を守っている保守的なイメージもありますが、世界最高の技術は試行錯誤の先にあるんですよね。ぼくたちの世代にはなんとなく周囲からはみ出さないように、あるいは失敗しないように、という雰囲気が漂っています。一方で、職人さんの世界は失敗ありきで、どれだけ失敗するかが高い技術を生み出す鍵になっていました。

財務諸表だけでは見えてこない職人の働き方や生き方をたくさん目の当たりにして、どんどん惹き込まれていきました。その中で、あらゆる課題も見えてきました。原材料の価格が上がっている一方で、加工賃は30年前よりも下がっており、なかなか持続できるような構造になっていません。バンカーとして、融資を重ねることが本当に問題解決になっているのかを疑問に感じました。ぼくに何ができるかを考えていたときに、かつてアフリカを旅していた経験と、京都の文化をうまくミックスさせて新しい価値を生み出せないだろうかと閃いたことが、今の事業につながっています。

 

ー起業するまでに取ったアクションのなかで、今の事業に活きていることはありますか?

振り返ると、自分をオープンにできていたことはよかったです。会社の経営なんて、到底ひとりでできるわけないと思っていたので、早くから自分が困っていることや実現したいことなどをブログに書いたり、周りの人に相談したりしていました。そうすると、不安やモヤモヤしていることが整理されたり、ありがたいことに誰かがアドバイスをくれたり、手を差し伸べてくださったりします。そんな「他力本願」がぼくの基本スタイルです。

 

ー京都やトーゴの職人さんに対して、事業を通してどのように貢献したいと考えていますか?

京都には「この地域の、この職人さんしかできない」というようなことが山のようにあって、そういうものを大切にしていきたいと思っています。起業していちばん嬉しかったのは、西田さんの工房に弟子入りする若者があらわれたことです。彼も就職活動に悩んでいて、相談にのっていたらなぜか一緒にトーゴへ行くことになり、人生の話や京都の職人さんの素晴らしさについてたくさん話をしました。帰国後、一緒に西田さんの工房を訪問したら、彼が職人の空気感に一目惚れしたみたいで。世界に誇る西田さんの技を、次の世代につなぐ可能性が生まれたのは、事業を通じて少しだけ貢献できたのではないかと思います。

あと、このあいだ(2022年3月)は8名の日本人をトーゴに連れて、現地NGOと協働でプロジェクトをしていました。日本人メンバーはアフリカ地域で意義ある活動に参加でき、NGOはプロジェクトの参加費用を受け取れるというスキームを組み立てたことで、現地の方からは大きな歓迎を受けました。その活動は隣の村まで噂になっていたようで、滞在期間中はずっと現地の方からのお悩み相談を受けることになりました。コロナの影響もあり、ファイナンスの課題をもっている組織が多く、前職のバンカー時代の経験と、今まさにぼく自身がチャレンジャーであるということが活きているなと実感しました。もがいている人の気持ちがわかるから、ぼくにできることをこれからも頑張りたいと思っています。

職人さんと関わっていく

ー伝統布である「ケンテ」や独自に発展してきた「バティック」の特徴はどのようなものなのでしょうか?

アフリカの布は大きく3つの種類に分けられます。まず有名なのは「アフリカンプリント」。主にオランダや中国でつくられるインクジェットのプリント生地です。つぎに、アジアで発祥してヨーロッパに渡り、アフリカに伝わった「バティック」と呼ばれる手染めの布。そして、かつては王族しか身につけることが許されなかった「ケンテ」と呼ばれる織物です。

その中でも、バティックやケンテが京都の友禅や西陣織のような工芸であることにとてもシンパシーを感じました。バティックやケンテの職人はそれぞれ10万人くらいいます。「そこにどれだけの職人さんがいるか」ということがぼくにとっては大切なんです。さらに、素材になっているコットンはトーゴの主要産業で、農家の関係者はおよそ80万人いると言われています。つまり、一次産業のコットン農家から、二次産業の染めたり織ったりする加工、そして三次産業のマルシェで販売するサービスまでつなげることができれば、およそ100万人に事業を通して関わることができるポテンシャルがあります。

 

ー商品の開発はどのようにされているのですか?

布は京都の染色家・西田さんにお願いしたり、トーゴから直輸入したものを使い、縫製は京都在住でトーゴ共和国の仕立て職人・デアバロさんにつくってもらうことが多いです。服をつくるときには、どうしてもハギレが出るので、それを用いて小物や雑貨をつくることで布を余すことなく使いきります。京都では昔から「小豆3つを包める布なら捨てない」と言われることもあるので、そのような文化も取り入れて大切にしたいと思っています。

服は既製服をどんどんつくるのではなく、オーダーメイドでつくることを大切にしています。アフリカの多くの地域で見られるのは、マルシェに行ってお気に入りの布を選び、仕立て屋さんに行って自分だけの一着をつくる文化です。それはものが溢れた「先進国」にはない、「途上国」ならではの素敵な文化であり、可能性でもあると思います。それを京都で味わってもらいたいと思ってコロナ禍にお店をオープンしました。完全にメイドイン京都でつくると、かなり高額になってしまうこともありますが、直接、職人さんと関係を築くことにより、1万円〜3万円の価格帯でオーダーメイドの服を仕立てられるお店として運営しています。

 

ー商品を開発する中で難しいことはありましたか?

いちばん最初は、トーゴの布(ケンテ)を持って帰って、西田さんに染めてもらいました。西アフリカでは最高級の布に、パリコレでも評価されている一流の染色をしているわけですから、最高級の逸品だと信じて疑いませんでした。しかしそうしてつくった布を持って東京に営業に行くと、京都の職人さんとアフリカの布を組み合わせている意味を問われました。バイヤーにとっては、京都とアフリカを繋いで、職人の技術を組み合わせたいというのは商品そのものの評価には至らなかったんですね。他の人に事業の意味が伝わりづらいということは、多々あります。ただ最近は、事業のテーマや独自性を面白がってくれる人たちが増えてきて、流れや空気感は少しずつ変わってきたように感じています。

商品から体験づくり、そして場づくりへ

ー商品販売以外にワークショップもされていますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

コロナの影響でパリコレが開催されなかったり百貨店が休業したりして、西田さんの仕事は大きくダメージを受けました。そんなときに、「ちょうど仕事も減って時間もできたから、一緒に遊ぶか?」と誘ってくださって。しかしあまりにも贅沢なので、知り合いを何人か呼んで体験させてもらえないかと言うと、「そんなんなんぼでも連れてき」と快諾してくださいました。職人さんのなかには、技術流出の可能性があるため、工房に一般の方を招き入れるのを断る方もいらっしゃいます。しかし西田さんは快く受け入れてくださったので、せっかくならそれを活かそうと思い、西田さんにお話を伺いつつ、自分でも染めてみるという2時間の体験プログラムを設計しました。いま思えば大変な時期でしたが、コロナ禍に起きたピンチがきっかけとなって生まれた企画です。

京都にはいろんな体験ができる機会がありますが、このプログラムの特徴は、やたら話が長いところです(笑)。ぼく自身がそうなのですが、職人さんに惚れると職人さんがつくるもの全てが愛おしく思えてきます。物そのものだけではなく、人に惚れた瞬間にもっと広い意味でファンになってもらえるんじゃないかと思い、職人さんの人となりに迫る時間を多く設けています。体験があるから物に愛着がわいてくるし、物があるから体験がより心に残る、その両面から価値を提案しようとしています。

 

ー購入者や、ワークショップ、研修の参加者の声はどのようなものがありますか?

参加者の多くは染め技術自体を学びに来られているわけではなく、職人さんの仕事への向き合い方を学びに来られていることも多く、経営者の方や学生さんもいたり、年齢も幅広いです。体験をしたあとは、「明日から仕事頑張ります」、「70代の方がこれだけ頑張っていて、自分ががんばらない理由はない」と各々が自分の普段の暮らしと結びつけて思いを巡らせているようです。

 

ートーゴに現地法人を作った経緯や、それによる変化について教えてください。

現地法人は、アフリカ出身の方としては日本で初めて大学の学長になられた、京都精華大学のウスビ・サコ先生に事業について相談したことから始まりました。サコ先生からは、「きちんと腰を据えてやる必要があるから、現地法人をつくった方がいい」と助言をいただいていました。先ほどお話したように、一次産業から三次産業までをつなげられるポテンシャルを見いだせたこともあり、現地法人を設立することにしました。

現地法人では、バティックやケンテの生産管理をお願いしています。また、その地域でどのように事業を行なうのがいいかを考え、まちの人たちにヒアリングして回りました。すると、オシャレな女性が多く「美容用品が売っていたら嬉しい」という声を聞くことができました。週に1回くらいは美容用品を購入するようでしたが、まちの中心地までバイクタクシーに乗って買いに行っていたことから、近くにあると便利だと。そこで、現地の方のニーズも汲んで事務局機能とコスメショップという形で運営をスタートしました。現在はそれに加えてカフェも併設し、みんなが集まってコーヒーを飲み交わすこともできる憩いの場や、まちのシンボルのような場所になるように進めています。

 

豊かな選択肢が生まれる社会をめざして

ー今後の事業展開はどのようなことを考えていますか?また、どのように社会にインパクトを与えていきたいと思っていますか?

いま、香りをつくろうとしています。西陣のお店をオープンする直前に、息子の目にガンが見つかり、視力が回復する可能性は著しく低いと診断を受けました。これまでアフリカの布とか京都の職人さんの技術について語っていますが、商品自体は視覚に訴えるものが多いんです。そうなると、ぼくがどれだけ商品の良さを語っても息子には伝わらないかもしれない。そこで、香りに注目して商品をつくろうと考えました。

親として息子の将来が少し不安になり役所に行くと、視覚障害の人たちの将来の選択肢があまりに少ないことに驚きました。選択肢が少ない状況はある種の貧困だとも思います。香りに携わっているのも、香水王国のフランスでは、調香師が社会的にも経済的にも地位の高い職業の一つとして確立しているからです。調香師の最高権威の方は目が不自由なんだそうです。目が見えなくなると他の感覚が敏感になる傾向があって、見えないからこそ香りについてのスペシャリティを出せたという事例もあります。

会社としては、視覚に障害のある人をインターンに受け入れるなど、誰もが仕事の幅を広げられるようなチャンレンジをしています。将来的には、目が見えなくなったり、あるいは耳が聞こえなくなったとしても、「アフリカドッグスがあるからなんとかなる」と思ってもらえるような会社でありたいです。

 

株式会社AFURIKA DOGS https://afurikadogs.com/

 

    1. この記事の情報に満足しましたか?
    とても満足満足ふつう不満とても不満



    interviewer

    堂前ひいな

    心理学を勉強する大学院生。好きなものは音楽とタイ料理と犬。実は創業時からtalikiにいる。

     

    writer

    梅田郁美

    和を以って貴しと爲し忤ふこと無きを宗と爲す。
    猫になりたい。

    関連する記事

    taliki magazine

    社会課題に取り組む起業家のこだわりを届ける。
    ソーシャルビジネスの最新情報が届くtalikiのメルマガに登録しませんか?