マーケティングの力で健康診断の受診率を改善。病気の早期発見・早期治療を根付かせる。

日本社会には、病気の早期発見・早期治療がインフラとして根付いていない。そう語るのは株式会社キャンサースキャン代表の福吉潤だ。彼は、早期発見・早期治療を実現するには、より多くの人に検診を受けてもらう必要があると考え、マーケティングの力を使って人々の行動変容をデザインしている。なぜ日本の医療が抱える課題にマーケティングで挑もうと考えたのか聞いた。

【プロフィール】福吉 潤(ふくよし じゅん)
株式会社キャンサースキャン代表取締役社長。慶應義塾大学総合政策学部を卒業後、P&G Japanに入社。ブランドマネージャーとしてマーケティングやブランドマネジメントを担当する。 2006年、ハーバード大学経営大学院に進学しMBAを取得。同大学研究員として従事したのち、2008年11月に株式会社キャンサースキャンを創業。2021年、慶應義塾大学大学院医学部にて博士号(医学)を取得。

早期発見・早期治療が根付いていない日本の医療

—現在の事業の概要を教えてください。

私たちは、「人と社会を健康に」を掲げ、主に、住民の定期健康診断・がん検診の受診率向上、各種生活習慣病の治療率向上など、全国の自治体に向けた予防医療事業の戦略立案・実行支援を行っています。具体的には、行政から住民に送る健康診断案内文のデザインを変更したり、複数の検診をセット受診可能にしたりと、メッセージと仕組みの両方から、各種健診・検診の受診率向上を図っています。

 

—日本の予防医療はどのような課題を抱えているのでしょうか?

一言で言えば、日本の医療はフルポテンシャルを発揮できていない状態にあります。かつては進行がんで発見された場合10%も生き残ることができなかったのに、今では15%の人が助かるようになりました。さらに、早期がんで発見できれば90~99%の人が治るとも言われています。これが今の日本の医療のポテンシャルです。しかし、実際にはがんで亡くなる人が最も多いのが現状です。つまり、日本の医療技術では、早期発見できればほぼ全員治るはずなのに、早期発見ができていないことが課題だと思っています。がん以外にも、糖尿病や高血圧などは早期発見できれば薬を服用するだけでコントロールできるのに、今でも1,000万人が糖尿病の患者もしくは予備軍だと言われています。

また、早期発見・早期治療が社会の中に根付いていない結果、医療費や介護費がかかり、社会保障費が膨れ上がってしまっています。日本の年金や、医療・福祉制度は、1961年に国民皆保険制度が作られたところから始まります。国民皆保険制度は、国民全員が保険証を持っていて、たとえお金がなくても全員平等に最高の医療を受けることができるという、世界的にも珍しい優れた医療制度です。1961年当時は、年金、医療・福祉制度全体で1兆円くらいかかっていました。始まった時点では、その後高齢化のため費用が増大することは想定されていたものの、経済成長も見込まれていたため、将来的な費用の増大は特に考慮されていませんでした。しかし、1961年から30年後、1990年には社会保障費が47兆円になりました。さらに2020年現在では、120兆円を超えています。1990年から2020年までで2.6倍になっているわけです。一方、国民所得額は1.2倍にしか増えていません。つまり、国民全体で稼ぐことができる金額は1.2倍にしかなっていないのに、支出が2.6倍になっているというような状況です。

ミクロな視点では、病気の早期発見・早期治療ができないことで亡くなってしまう人や重症化してしまう人が増えるということが問題ですし、マクロな視点では、社会保障費がどんどん増大して国が立ち行かなくなっているということが、日本の医療の課題だと考えています。

 

—現在、健康診断を受ける人の割合はどのくらいなのですか?

企業に勤めている人は職場で健康診断を受ける必要があるので、受診率が70~80%と高くなっています。職場では、人事や総務が促してくれたり予約を代わりに取ってくれたりするので、健康診断に行かないといけない雰囲気と、行きやすい環境があるんですよね。一方で、一旦65歳で定年退職して職場から離れると、今度は自治体から健康診断のお知らせが来るようになります。自治体は、企業ほど手取り足取り健康診断を受けやすい環境を作ってくれるわけではないので、本人に健康診断へ行こうという強い意志がないと行かなくなってしまうんですよ。だから、65歳以上になると急に受診率が10~20%にまで下がってしまうのが現状です。

 

通知文を変え、検診受診率が飛躍的に向上

—実際にマーケティングで受診率が向上した事例を教えてください。

東京都で実施した「がん検診受診率向上事業」にての効果検証について紹介します。行政からの通知文について、それまで使用していた文面の他に、マーケティングの考え方を反映させた文面を作成し、どちらの文面を受け取った人が多く検診に来たか、というABテストを行いました。(下図参照)

それまで使用していた文面Aは、「乳がん検診のご案内 マンモグラフィによる検診を受けましょう」というもので、通知のデザインも文字が多く見づらいですよね。一方で、新しい文面Bは「約1万円の補助が受けられますので自己負担額1000円で受診して頂けます」というもので、レイアウトもより見やすいものに変更しました。その結果、Aの文面を受け取った1500人のうち検診に来た人は1人だったのに対して、Bの文面を受け取った1489人のうち検診に来たのは131人にまで増加したんです。

出典:株式会社キャンサースキャン 代表取締役 福吉潤『がん検診受診率を上げる!行動変容マーケティングの科学的アプローチによる先進事例』https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12600000-Seisakutoukatsukan/0000114068.pdf

 

—検証の成功確度を高めるために工夫されていることはありますか?

基本的には、最初にインターネット上でのマーケティング調査を行っています。そこでしっかりと効果がありそうだと測定できてから、実際に行政の通知文として住民の方にお送りしています。P&Gでマーケティングをしていた時も、テレビCMを作った後にいきなりオンエアはせず、まずは消費者に見てもらうという調査を実施していました。今も同じように、まずは簡単にできるインターネット調査を使って効果検証と改善を繰り返しています。

 

マーケティングで世の中に価値あるものを届けたい

—起業に至るまでの経緯を教えてください。

起業する前は、P&Gでマーケティングの仕事を長くやっていて、洗剤のテレビCMを担当している時期がありました。テレビCMというのは、売り上げが下がってくると新しいものに作り直すんです。商品はほとんど変わらないけれども、見せ方やメッセージの打ち出し方を変えることでまた商品の売り上げが伸びていく、というのが消費財のマーケティングの基本です。私はマーケティングの仕事をする中で、商品自体が変わらないということは本質的な価値を生み出していないのではないか、この商品が売れても世の中はあまり大きく変わらないのではないかというような違和感を抱くようになりました。自分が持っている、世の中に商品の魅力を伝えていく力を、もっと別の、本当は世の中に普及しなければならないはずなのに、マーケティングの力が足りないことで届けるべき人に届いていないものに対して、活かしたいと思ったんです。その後、ハーバードビジネススクールに入学し、共同創業者の石川善樹に出会いました。石川は予防医療の研究者で、当時から、病気の早期発見・早期治療が社会のインフラに根付いていないことが日本の医療の課題だと考えていました。石川の話を聞き、より多くの人に検診を受けてもらうためにマーケティングの力が活かせるのではないかと思って、一緒に起業することを決めました。

 

—そこからどのように、現在の自治体向けの事業を着想されたのでしょうか?

創業時に、マーケティングを使って検診を受ける人を増やしたいという想いを、がんの専門医の方や行政の医療に携わる方などに伝えてみたんです。しかし、ほぼ全員に言われたのが、検診を受ける人が少ないのはマーケティングの問題ではなく、もっと病気のことについて知ってもらうための教育や啓蒙が重要だということでした。もっと痛くない検診を開発することが大事だと言う人もいましたね。でも、ちょうどその時期に、内閣府が実施した「がん対策に関する世論調査*1」を目にしたんです。調査の中で、「なぜあなたはがん検診を受けないのですか?」という質問があって、「忙しいから」とか「お金がかかるから」とか色々な回答があったんですが、ダントツの第1位が「たまたま受けていない」だったんですよ。健康診断は大事とか、がんは早期発見・早期治療すれば助かるということは、みんな常識として知っていて、だけどきっかけがないから受けない。これはマーケティングの問題だと思いました。なんとなく欲しいんだけど今日どうしても買う必要はないというものを、今購買してもらうためのきっかけづくりは、マーケティングにおいて非常に重要です。検診についても同様のことをすれば、必ず解決できると感じました。

そこから、検診においてのきっかけを模索した結果、自治体から送られてくる通知と受診券をデザインするということに辿り着きました。すごく大きな社会課題もブレイクダウンしていくと、ボトルネックは実はこんなに小さなところにあって、起業家が挑戦できる課題になっていくんですよね。

*1:がん対策に関する世論調査 https://survey.gov-online.go.jp/h19/h19-gantaisaku/index.html 

 

研究として実績を積み上げた

—事業を始められた当初、どのように行政との連携を進めていったのでしょうか?

前提として、行政の担当者の方は、住民の健康のことを考えると、やはり検診をやるからにはより多くの人に来てほしいと思っています。しかし、費用が税金だということもあり、実績があるところにしか任せられないという雰囲気はとても強かったです。また、当時は行政と民間企業の連携がそもそも少なかったので、全然受け入れてもらえなかったですね。そこで私たちが考えたのは、まず事業を研究として進めるということでした。国立がん研究センターの研究チームに入れてもらい、がん検診の受診率向上を目指す研究を積み重ねました。そして、その研究成果を用いて営業を行うことは、信頼感を高める上で効果的だったと思います。

 

—国立がんセンターとのつながりはどのように作られたのですか?

ハーバードのビジネススクールに通っていた時に会いにいったことが功を奏しました。大学院でアントレプレナーシップの事業があったのですが、教授から「卒業後にすぐに起業するつもりがあるんだったら、営業は今のうちにしておいた方が良い。色がついていない今のうちにいろんな人と関係構築をしておくべき。」というアドバイスをもらいました。そこで、長期休みで日本に帰ってきた時はいろんな人に会うようにしていて、その時に国立がん研究センターの人たちにも出会いました。

 

強みを掛け合わせる共同創業

—バックグラウンドの異なる2人で共同創業することに難しさはありましたか?

起業する前から、自分からなるべく遠い領域のプロフェッショナルと組みたいと考えていました。自分と相手のできることが全く異なるからこそ、それぞれの強みが掛け算になるはずです。したがって、最初から、医療分野の分析や研究は石川に任せて、ビジネスとしてどう成り立たせるかなどは私が考えていました。役割分担がはっきりしていた分、意見が衝突したことは今まで1回もないですね。

創業間もないころに、私が物珍しかったり消費者受けが良さそうだと思ったものを、マーケティングを使えばもっと世の中に広めることができるのではないかと言っていたこともありました。しかし、石川が「私たちは科学的なエビデンスのあるものだけを扱うべきだ」と言ってくれて。そこから、儲かるとしても、医学的・科学的にエビデンスが確立されたもののみを広めていく、というポリシーを曲げずに事業展開をしてきました。

左から2番目が福吉潤さん、1番右が共同創業者の石川善樹さん

 

行動変容時の摩擦をなくし、早期発見・早期治療へ

—今後はどのような事業展開をお考えですか?

これまで検診・健診を受ける人を増やすという事業をやってきましたが、検診・健診で病気が見つかった後に治療を受けに行くというところまで行動変容できるようなサービスを作りたいと思っています。検診を受けた人の約半数に治療した方が良いという結果が出ますが、その後実際に病院に行くのはさらにそこから半分ほどだと言われています。早期発見・早期治療を実現するためには、検診の後の治療を促すサービスを作る必要があります。

また、現在は行政向けの事業展開をしていますが、民間企業との連携も増やしていきたいです。スポーツジムや製薬会社などは、人々が健康になることがビジネスになっていますよね。このような企業と自治体、両方と組みながら、地域住民の健康を促進できるようなサービスの展開を始めています。すでに開始している事業としては、大阪市と、骨粗鬆症の薬を開発しているアムジェン株式会社との取り組みがあります。骨粗鬆症の治療をする人が増えれば、アムジェンはより多くの薬を販売することでき売り上げが上がりますし、骨折が減り要介護状態になる人が減るので自治体としても介護費が削減できます。3者全員にとってメリットとなる状態で事業を回せると考えています。

 

—最後に、事業を通して作りたい未来を教えてください。

「人と社会を健康に」というミッションの通り、病気の早期発見・早期治療を可能にして人々を健康に、そして社会保障という日本が誇るセーフティネットの機能を守り続けていきたいです。現状、いざ検診・健診を受けようと思った時にフリクション(摩擦)がとても多くて、検診・健診を受けづらい仕組みになってしまっています。「行動変容をゼロフリクションに」というビジョンを目指して、行政サービスのフリクションを一つ一つ取り除いていって、検診・健診を受けたいと思った人が数日後にはなんのフリクションもなく検診・健診が受けられるという社会を作りたいと思っています。

 

株式会社キャンサースキャン https://cancerscan.jp/

 

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interviewer

細川ひかり

生粋の香川県民。ついにうどんを打てるようになった。大学では持続可能な地域経営について勉強しています。

 

writer

堂前ひいな

幸せになりたくて心理学を勉強する大学生。好きなものは音楽とタイ料理と少年漫画。実は創業時からtalikiにいる。