うつ病患者の家族向けオンラインコミュニティで孤立を防ぐ。家族が患者を支えながら自分らしく生きられる社会へ
現在メンタルヘルス領域において、うつ病患者のサポートでその家族が疲弊してしまうことが問題になっている。うつ病患者の家族の孤立を防ぐためオンラインコミュニティ「encourage」を運営する株式会社ベータトリップの代表・林晋吾。自身がうつ病になり悩まされた経験を踏まえて事業を立ち上げるまでのエピソードや、サービス設計へのこだわりなどを聞いた。
【プロフィール】林 晋吾(はやし しんご)
2005年3月に早稲田大学卒業後、7年間大手総合金融サービス会社で国内法人営業、事業企画業務に従事。2012年より経営コンサルティング会社にて企業の事業再生や、株式上場準備会社の支援、国内大手メーカーの事業戦略構築等、幅広いプロジェクトに携わる。2015年12月、株式会社ベータトリップ設立。2017年9月にうつ病患者の家族向けオンラインコミュニティ「encourage」を提供開始。
もくじ
患者だけでなく、サポートする家族も社会から孤立してしまう
ー現在の事業について教えてください。
うつ病患者さんの家族向けのオンラインコミュニティ「encourage」を運営しています。メンタルヘルス領域では患者さんのサポートをする中で、家族が誰にも相談できずに孤立してしまうことが問題になっており、近年はうつ病患者数の増加とともに家族の問題が認識されるようになってきていました。助けを求められずにいるご家族がつながれる場所として、2017年に「encourage」を立ち上げました。具体的には、ご家族同士がオンラインの掲示板で相談や情報交換をできたり、医師やカウンセラーから質問に答えてもらったりということができます。他にも、専門家が監修している、うつ病患者さんの治療サポートに関する記事コンテンツを読むこともできます。
現在5,000名の会員登録があり、コメントと投稿は累計で20,000件に達しました。会員登録をしなくても閲覧できるコンテンツもあるので、月のアクティブユーザーは35,000人くらいになっています。
ー事業の着想のきっかけはどんなものだったんでしょうか?
2015年にベータトリップを設立したのですが、その時に決まっていたのは、メンタルヘルス領域の事業をするということだけだったんです。自分がうつ病で治療と再発を繰り返した経験から、最初はうつ病患者さんの社会復帰をサポートするオンラインプログラムをやろうと考えました。再就職、就労支援プログラムに触れる機会があったのですが、そうした支援をオンラインでも気軽に受けられたらいいのになと。それでうつ病患者さんたちにヒアリングをして事業の構想を作っていくつもりでした。
現在進行形でうつ病の治療をしている人や経験者にヒアリングをするうちに、ご家族のサポートや関わりについて話を聞く機会が増える中で、患者さんとご家族の関係にについて関心を持つようになりました。今度は患者さんの家族に話を聞くようになると、ご家族ならではの悩みがあることが分かってきます。
「患者への接し方やサポートの仕方について、なかなか欲しい情報を教えてくれる人がいない」
「患者をサポートしていく上で、困ったことや辛い気持ちを誰にも相談できない」
「医療機関や自治体の窓口などで相談しても、家族自身の辛さについての相談には乗ってくれない」
誰にも相談に乗ってもらえず、患者さんだけでなく家族も社会から孤立してしまう状況が見えてきたんです。そこでうつ病患者さんの家族の問題を解決しようと決意し、「encourage」の着想につながりました。
似た立場の家族でつながって孤独を解消し、新しい視点が得られる
ーサービスを設計する上で、どんなところを意識されましたか?
似た立場の人同士でつながりやすいようにしました。プロフィールに「夫」「母」といった患者さんとの続柄や、年代を登録できるようになっていて、プロフィールを見ながら属性が近い人とつながれる設計にしています。属性の近いご家族同士で話すことで孤独を解消できますし、経験的な情報から自分に役立つアドバイスが得られるのも良いところです。ずっと1人で悩みを抱えてしまうと考えが凝り固まって、苦しくなってしまいますよね。「同じ立場でも、こういう考え方もあるんだ」と気づくことで新しい視点が見えるようになりますし、今後の患者さんへの接し方の参考にもなると思います。例えば「自分を犠牲にしても患者さんをサポートしなきゃ」と考えていた人が、「自分自身のこともケアしないといけないよね」という考え方を得られるだけでも、大きな変化だと思います。
ー似た立場の人を見つけてつながれるサービスの1つとして、Twitterを利用している人もいるかと思います。どんな部分で、こうした既存のSNSと差別化を図っていますか?
「encourage」はうつ病患者さんのご家族に限定した、匿名で利用できるオンラインコミュニティなので、患者さん本人にアカウントを見られたり、立場の全く違う人からリプライが届いたりする心配がなく、安心して使っていただけると思います。それに、「encourage」に比べて、誰でも利用できるTwitterなどではご家族同士がつながりを継続しづらい部分もあるかと思います。
それからもう1点違いがあるのは、投稿に文字制限がないところです。うつ病患者さんの家族の悩みを140字にまとめるのは難しい部分があるんですよね。実は初め、「encourage」をご家族同士のQ&Aサービスにしようと思っていた時期があり、リアルで集まってテーマを決めた相談会を開いたことがありました。「今日はこんなテーマで先生に質問してみましょう」といった具合で開催したのですが、質問がほとんど出ませんでした。ご家族はご自身の気持ちや考えを整理して、相談をすることが難しい状況なんだと気が付きました。自己紹介をしてもらい、それぞれの状況についてフリーで話す中で、知りたいことや悩んでいることをお話する方が多かったので、「encourage」の投稿でも同じように気持ちや考えを整理しながらアウトプットができるようにインターフェースを工夫しています。
ー開発はご自分でされているのですか?
ベータ版の時から、同じ1人のエンジニアさんにお任せしています。あるアクセラレータプログラムで一緒になった会社の方で、副業として手伝ってもらっています。
開発はエンジニアさんに任せてはいますが、どんな仕様にするか自分で一度具体的に考えるようにしています。ツールを使って作ることもあれば、簡単なものはパワーポイントを使って作ることもありますが、その中でボタンの位置など詳細な部分まで意識して伝えるようにしています。自分は、色々なサービスを見ながら自分のサービスに活かせることはないかな、ということを考えるのが好きなんです。「このインターフェースはどうしてこういう配置になっているのかな」とか「自社のサービスならこうした方がいいな」と考えていると楽しいんですよね。他のサービスも参考にしながら、「自分はこうしたい」ということを具体的にして伝えるようにしています。
協力者と継続的な関係になるよう、自分に何が求められているか考える
ー現在何名体制で事業を行われていますか?
正社員は自分1人ですが、プロボノや業務委託という形態で常時関わっていただいているのは10人くらいです。まず医師やカウンセラー、薬剤師などの専門家6名の方にプロボノ*として関わっていただいています。精神医療や福祉関係のイベントに参加する中で、出会った人たちに声をかけていって協力していただけるようになった方々です。記事の監修で不定期に協力していただいている方も合わせると、20人くらいの専門家が関わってくれていますね。先ほどお話したエンジニアさんも常に関わってくれています。あとはライターさん2人に、記事コンテンツを作成してもらっています。他には、不定期ですが、コワーキングスペースで知り合ったエンジニアさんに、記事コンテンツ制作のためのキーワード分析のシステム開発やデータ更新をお願いしています。こうして振り返ると、いい人たちに囲まれて事業を進めてこられたな、と感じますね。
*プロボノ・・「公共善のために」を意味するラテン語「Pro Bono Publico」を語源とする言葉で、【社会的・公共的な目的のために、職業上のスキルや専門知識を活かしたボランティア活動】を意味します。(参考:サービスグラント)
ー関係者の方々とビジネス上の関係を築く上で、大変だったことはありますか?
経営体力的に予算が組めず、関係者の方々が通常受ける報酬よりも少ない額しか出せないこともあり悩むことはあります。取り組んでいる事業に共感していただいていることがベースにありますが、継続的に協力していただけるように、どういったことをお願いをするかが大事で、難しくもありますね。皆さまから「encourage」に期待していただいているものを確実に実現していくことが大事だと思っています。例えば、医療や福祉の専門家の中には、行政の枠組みでは踏み出せないご家族のサポートを、弊社の事業が補っていくことを期待されている方もいらっしゃいます。それに、医療や福祉の方々が今後オンラインのサービスに関わられる機会が増えていくことが予想される中で、「encourage」でオンラインでの実践経験を積みたいという方もいらっしゃいます。このように、「encourageに対して期待していることが、実現されていく」と思ってもらうことが継続的な関係につながっていると考えています。
安心なユーザー体験は損なわずに、家族の根本的な課題解決へ
ー事業を行う上で、譲れない意思決定の軸があれば教えてください。
ご家族が安心して利用できるサービスに繋がるか、ユーザーに対して価値を提供できるかを判断軸にしています。現状ユーザーへ直接課金はせず、事業を行う上で培った知見やノウハウを活かして、製薬メーカー様のうつ病に関する啓発のサポートや資材制作、うつ病のソリューションを作るためのリサーチのご支援などに取組んでいます。安心安全の環境を作って継続的に提供していくということを意識しているので、時には単価の高い案件でもユーザー体験を損なう可能性があるものは、断らなければならないこともあります。今後も事業拡大をはかっていく中で、企業目線のサービス設計にならないようにユーザー体験を一番に考えていきたいです。
ー初めはサービスの拡大が見えない中で、どうして無料のモデルでやっていく決意をできたのでしょうか?
最初だからこそ、掲示板に色々なアウトプットをしてもらうためのハードルを上げたくなかったんです。医療や福祉業界のプレーヤーをクライアントにすることを考えた時に、うつ病患者さんのご家族に掲示板への書き込みをしてもらい、情報を集めてインサイトを得ることで、将来的に課題解決やマネタイズにつながっていくと思っていました。長期的な目で見れば、無料にすることに迷いはありませんでしたね。とはいえ、業界のビジネス構造についてはやってみないと分からない部分もあって、苦労しました。創業前のピッチコンテストなどの段階で、医療や福祉業界向けのビジネスモデルを収益源にすることは書いていましたが、実際に事業化するまでに時間がかかりましたし、現在も試行錯誤をしています。
ー今後の事業展開の構想について教えてください。
事業のフェーズでは2つに分けて考えていて、今までは第一段階の「ご家族の孤立や孤独を解消していくこと」に注力してきました。今後は第二段階目として、「ご家族の声を医療機関や医療従事者、企業、自治体に届けて、うつ病治療における家族の問題を解消すること」に少しずつ取り組んでいきたいと思っています。その中でも、安心安全のユーザー体験を損なわないように気をつけます。なぜ第二段階に進むかというと、ご家族の痛みはいろいろな関係者との関わりや日常の場で生まれているので、ご家族同士のつながりを生み出すだけでなく問題の発生元にアプローチしていかないといけないと考えているからです。
現在は「encourage」で得た知見を活かして、製薬会社様向けに疾患啓発イベントのコーディネートや患者さんやそのご家族向けの資材作成、うつ病治療のデジタルソリューションを作る上でのお手伝いなどをしています。これらの事業で得た知見を、今度はご家族や患者さんの体験を良くするためのソリューションにつなげていきたいと思っています。また、医療や福祉に関係する人たちにより深くコミュニティへ関与していただいて、コミュニティでの課題解決と、通院などの現実世界での課題解決が上手くつながるようにしていきたいです。
ー最後に、事業を通して実現していきたい社会像について教えてください。
「encourage」という事業を通して、うつ病患者さんもそのご家族も自分らしい人生を歩めるようにしたいです。患者さんは病気を持ちながらも人生を歩んでいけるし、サポートするご家族も自分の人生を大事にできる社会が理想ですね。そういった体験をサポートできるように、自社としてサービスを作ったり、ステークホルダーと協力したりしていきます。
株式会社ベータトリップ https://encourages.jp/
encourage https://encourage-s.jp/service/
interviewer
細川ひかり
生粋の香川県民。ついにうどんを打てるようになった。大学では持続可能な地域経営について勉強しています。
writer
掛川悠矢
メディア好きの大学生。新聞を3紙購読している。サウナにハマっていて、将来は自宅にサウナを置きたいと思っている。
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