かぎ針1本から女性の未来を切り拓く。フィリピン発フェアトレードバッグ、10年目の挑戦
インタビュー

かぎ針1本から女性の未来を切り拓く。フィリピン発フェアトレードバッグ、10年目の挑戦

2020-11-03
#国際協力 #ものづくり #雇用創出

フィリピン・セブ島にて、現地の女性が編むバッグを日本に送り出してきた関谷里美。労働者に正当な賃金を払うフェアトレードの先駆けとして、現地で約10年間の試行錯誤を続けてきた彼女の事業は、着実な成果を上げている。10年に及ぶ取り組みの軌跡と、新型コロナウイルスの状況下で奮闘する様子を聞いた。

【プロフィール】関谷 里美(せきや さとみ)
株式会社スルシィ代表。青山にて25年間輸入雑貨店を経営した後、フィリピン・セブ島へ旅行したことをきっかけに、現在の事業の構想を得る。2011年にスルシィを立ち上げ、天然素材のラフィア糸を使用し、現地の女性が手編みしたバッグを日本で販売している。現在はセブ島に工房を構え、50名の編み子を抱えている。

きっかけは、フィリピンの土産店で感じた疑問

―スルシィで行っている事業について教えてください。

フィリピンに自社工房を構え、ラフィア*という天然素材を使ったバッグを作っています。現地の女性50人に編み物の技術を教えて、編み子さんとして働いてもらっています。
編み物に使うかぎ針は安く手に入るので、誰でも始めやすいのもポイントです。高価なミシンを使う必要はなく、力も要りません。

*ラフィア…ヤシの木の一種。バッグを作る際には、幹の部分を薄く裂いて糸にしたものを使う。

 

―スルシィを立ち上げたきっかけは何だったのでしょうか?

フィリピンのセブ島へ旅行した際に、現地のお土産物屋さんで見つけた手作りの商品があまりに安価だったことに愕然としました。友人のお土産を探していたときに、入れ子式の3個セットのカゴを見つけたんです。デザインや品質は悪くなくて、お土産としては十分でした。千円ちょっとの値段が付いていたのですが、そのときに「安く見つかってラッキー」という気持ちではなく、「この作り手さんはいくらもらっているんだろう」と思ったんです。
この商品が売れるまでに、お土産物屋さん、商品を運ぶ人、女性の作り手を取りまとめる人…多くの人が関わっているはずです。そのそれぞれに儲けがあるとすると、作り手がもらえる金額は本当に少ないのではないかと思いました。

そのとき、私が商品を日本で売ったら、現地で売るよりも高く売れて、作り手さんにもっと工賃をお支払いできるんじゃないかと思ったんです。「日本で売るならビジネスになるかもしれない」と思いついたことがきっかけです。

 

―日本の百貨店でも販売しているそうですが、お客さんの反応はどうですか?

百貨店の催事場やバッグ売り場などで販売させてもらっていますが、華やかな売り場において、自然なベージュを基調としたスルシィのバッグは目を引くみたいです。まずは商品ありきだと思っているので、フェアトレードバッグということを前面には出さないのですが、興味を持っていただいた方にストーリーをお話しすると、「なおさら買いたい」と思ってくださる方は多いです。

やっぱり手作りのものは温かみがあると思います。手編みの魅力がにじみ出たバッグなので、「こういうものが欲しかった」「今まで持ってないタイプのバッグ」といった声をもらうと嬉しいですね。

スルシィで販売している手編みバッグ

 

「この人は途中でいなくならない」、信頼関係を築く

―雇用する現地の女性は、どんな人を対象としているのでしょうか?

基本は来る者拒まずで、スルシィで働きたい人は誰でもOKです。
あるときは村の村長さんから「うちの村にもトレーニングに来てほしい」と言われて、編み物に興味がある女性に集まってもらってトレーニングをすることもありました。現在スルシィで働いている編み子さんから、別の女性を紹介されることもあります。

現地の編み子さんの紹介はこちら。 スルシィ|編み子さんたち・スタッフ

 

―どうやって現地の女性に編み物の技術を教えたのですか?

私が2,3ヶ月に1回現地を訪問して、ゼロから編み方を教えました。私自身は、昔から編み物が好きで、中学生の頃には誰に教わるでもなく見たものを編めるようになっていました。大学は美術大学に進学して、デザイナーとしての勉強をしていたので、その経験が生きたと思います。

フィリピンに行っては教えて、出来上がったものを引き取って給料を支払って、また宿題を出して…という繰り返しです。レース編みを嗜んだことがある人もいましたが、ほとんどの人が初めてでした。そこから日本で売れる品質にするまでに、約1年半かかりましたね。
教えるのも大変で、ポケットが真ん中に付かない、前後の取っ手の長さが違う、お花の飾りがすぐに取れてしまう…など、伝えたことがなかなか浸透せず、苦労しました。

 

―関谷さんはどのように現地の方々と信頼関係を築いていったのでしょうか?

正直、最初は現地の女性たちも半信半疑でした。きっと、今までにも「支援してあげる」と言って、途中で姿を消した人がたくさんいたんだと思います。この人もそうなるんじゃないか、という思いは少なからずあったと思いますね。「何かしてあげたい」と思っても、ビジネスとして成り立たなければ続けるのは難しいです。スルシィでは、ビジネスとして成り立つこと、継続して利益を生む仕組みを作ることを強く意識していました。

スルシィの商品は日本で販売することを念頭に置いていました。日本の百貨店に置いても遜色ない品質を保つためには、編み直しをお願いすることもあります。誰でも編み直しさせられるのは嫌ですよね。それはフィリピンの編み子さんも同じです。
それでも、だんだんと「どうせ時間がかかるなら、編み直ししなくていいように一発でうまく編もう」という雰囲気が生まれてきました。そんな中で
「この人はちゃんと作ったらお金を払ってくれて、新しいことも教えてくれる」という信頼関係ができていったのだと思います。

編み子さんたちの様子

 

女性が働くことは、貧困からの脱出につながる

―フィリピンに渡航してみて、現地の女性の生活は関谷さんの目にどのように映りましたか?

現地の事情をあまり知らないままで飛び込んだので、最初はびっくりすることも多かったです。現地の小学校や役場を借りて編み物のトレーニングを行っていたんですが、出席を取ってみると来ていない人がいて。理由を聞いてみると、「そこへ行くまでの数十円の交通費がない」と言うんですね。そういった厳しい生活の実情を、一つひとつ知っていきました。

 

―10年間フィリピンで事業を続けてきて、彼女たちの生活はどう変わったのでしょうか?

女性にお金が渡ると、子どもにお金がかけられるようになるんです。男の人だと、どうしても飲み食いや賭け事に使ってしまって残らないことが多いんですが、女性はお母さんとして子どもの教育などにお金を使おうとします。また、手元にお金ができることで、子豚を買って2,3ヶ月育ててから高く売る、といった投資ができるようになったり、家の壁が竹からコンクリになったりといった目に見える変化もあります。
毎月お給料を手にして、働いた対価が目に見えることが何よりのモチベーションになっているようです。例えば、ある編み子さんは、スルシィで働く前はハウスキーパーをしていました。ハウスキーパーは1ヶ月180時間、ほぼ休みなく働いて2,500ペソ(約5,500円)を受け取っていましたが、現在はスルシィで月60時間働いて4,000ペソ(約8,800円)の収入を得ています。時給換算で4倍以上の収入を得られるようになりました。

また、自分の作った商品が日本のきらびやかな百貨店に並んでいるという事実が、彼女たちの働く誇りにもつながっています。フィリピンでは、カレッジを卒業しなければ安定した職業に就くのは難しいです。スルシィでは、頑張ってちゃんとしたものを作れば、屋台など他で働くよりもお金が稼げるという実感を得られていると思います。

 

―編み子の方に払う工賃の一部を、「スルシィ基金」として積み立てているそうですね。これはどのように活用されているのですか?

福利厚生と言うとおおげさかもしれませんが、編み子さんたちの医療費や、子どもの学資金に使うためのお金です。医療保険に入っている人はほとんどいないので、病気になると病院に行くのを我慢してしまうんです。そうならないように、病院でかかったお金の50%はスルシィ基金から出すようにしています。

以前、旦那さんが脳梗塞で亡くなってしまった編み子さんがいて、子どもが大学を辞めなくてはならない状態になりました。彼女にも、毎月わずかではあるんですが、スルシィ基金からお金を援助しています。

 

また、地域貢献活動の一環として、刑務所に収監されている女性たちに編み物を教える活動も行っています。刑期中に技術を身につけておくことで、出所後にスルシィで働ける仕組みを整えています。
他にも、行政に出す書類がわからなければ、まずスルシィの工房に持って行って誰かに書き方を教えてもらう、といった女性の駆け込み寺のような役割も果たしています。編み子さんたちにとって、スルシィで働いていることが安心感につながったらいいなと思っています。

 

女性の稼ぎが鍵を握る、コロナにおける状況

―新型コロナウイルスの影響で、フィリピンに渡航できない日が続いていると思います。現在はどのように仕事を進めているのですか?

事業を始めてから10年の年月が経った成果か、私が渡航しなくても仕事は十分に回っています。身体的な負担は、本当に楽になりました。編み子さんが育ったおかげで、指導できる人も増えて、今はメッセージアプリで写真やテキストをやり取りするだけで問題ありません。試作品を作れる人もいるので、着実に人が育っていることを実感しています。

 

―フィリピンではロックダウンもありましたが、生産体制にも影響があったのでしょうか?

物流もストップしてしまったので、完成した商品はもちろん、バッグの材料となるラフィアの糸が届かなくなったのには困りました。ラフィアの糸は、工房があるセブ島の隣、ボホール島から輸入しているのですが、完全に供給がストップしてしまったんです。
現地のスタッフに「感染しないように、家でじっとしていてね」というメッセージを送ったら、「そんなことしたらみんな食べていけないよ」というメッセージが返ってきました。編み子さんの多くは、旦那さんが固定の仕事に就いているケースはあまりありません。旦那さんがロックダウンで仕事がなくなると、彼女たちの稼ぎにかかっているんです。

「糸が手に入らなくても仕事を与えなくてはいけない」という状況の中で、今まで放置していた不良在庫に目を付けました。編み直しになって中途半端になっていた不良品が、編み子さんの家に眠っていたので、それらをすべてほどいて再利用することにしたんです。会社としても、今まで放っていた不良在庫が新品に蘇ったということで、思わぬ収穫がありました。

現在は、外出規制が緩んだタイミングなどを生かして、少しずつ糸の供給も復活してきています。現地で税金を納めているので、勤務先としてパスも発行されていて、編み子さんたちもたまに工房に訪れています。
今は大口の納品も控えていて、現地は結構忙しいのでみんなフル回転で働いてくれています。

 

大きな雇用を生み、働く人の自信向上へ

―最後に、今後スルシィの事業を通じて目指す社会について教えてください。

もっと編み子さんを増やして、フィリピンの女性の自立に一役買いたいです。女性が働くことは、子どもにお金が回ることを意味するので、より多くの人にいい影響が与えたいと思っています。
将来は、女性だけでなく、男性の雇用も生んでいきたいです。工房が大きくなれば、編み子さんを雇うだけでなく、守衛やドライバーといった人も必要になります。長い目で見て、大きな雇用を生んでいけたらと考えています。あとは、今回の新型コロナウイルスの影響で、ラフィアの糸をセブ島で生産する必要性も痛感しました。

実は、編み子さんにもっと自信を付けてもらうという意味で、ハイブランドのバッグとコラボしたいという目標があります。自分が編んだものが、世界の名だたるハイブランドとコラボするという夢のような経験を、彼女たちに味わってもらいたいですね。

 

スルシィ https://www.sulci.co.jp/

 

 

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    interviewer

    細川ひかり

    生粋の香川県民。ついにうどんを打てるようになった。大学では持続可能な地域経営について勉強しています。


    writer
    田坂日菜子

    島根を愛する大学生。幼い頃から書くことと読むことが好き。最近のマイテーマは愛されるコミュニティづくりです。

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