学校の勉強はどうして必要なのか

自分で考えること

いやそれ趣味の話やし学校の勉強あんま関係なくない?

と思った人もいることでしょう。

 

そうです。

好きなこと、関心あることだったら勝手に勉強して自分で考えますしね。

 

でも、フィギュアスケートについて勉強して考えた中で、

今まで学校教育で培ってきたことがたぶん活かされてるんだろうと思われる箇所があります。

 

それは「自分で一生懸命考える」という部分です。

 

今の時代、インターネット上にはありとあらゆる情報があふれています。

影響力に差はあれど、誰でも情報の発信者になれる時代。

その中で「正しい情報はどれか?」「より信頼できそうな情報はどれか?」を自分で選ばなくてはなりません。

 

でもそれってとても難しいことだと思います。

人にはそれぞれ「信じたいこと」とか「信じたくないこと」があって、

なかなか公平な目でものを見ることができない。

 

そもそも正しさって何?とか

公平って何?とか。

 

こういうことを自分で粘り強く考える力は、間違いなく学校で、与えられた課題についてとにかく考えるなかで培ってきたものだと思っています。

 

冒頭でさんざん叩いた微分積分も、わたしが自分であきらめないで考える力のための課題だったのだろうし、数学の先生はわたしが数学を捨てないようにいろいろと世話をしてくれたんだろうなあと思っています。

頭は使わないと劣化していきます。

もちろん学校という場所や現在の日本の教育を手放しで称賛できるわけではありませんが、

少なくともわたしは学校は頭を使うことをサボらないように鍛えてくれる場所だったと解釈して、感謝しています。

 

いくら仕事とはいえ、自分の時間を割いて、自分はもうとっくに知っていることを教えてくれる人がいっぱいいる環境なんて、

社会に出たらそうそうありません。

でも学校ってそういう環境なんです。

そういう人たちのもとで、自分の頭を毎日一生懸命磨く環境なんです。

 

社会に出たら、勉強は自主的にやることに変わっていきます。

内容も、自分の興味のあること、やりたいこと、あるいは仕事上やらざるを得ないことなどに絞られ、様々な角度や分野のものに触れる機会は少なくなっていきます。

自主的に勉強していると、どうしても自分に甘くなって、自分で真剣に考えることをサボってしまう人がほとんどです。

 

一部の人は自分で勉強して自分で自分の頭を鍛えられるのかもしれませんが、

人間というのは悲しいかな弱い生き物なので、楽なほうへ楽なほうへと流されようとするのです。

だから、半ば強制的にでも、自分の頭で考えるトレーニングをするための問題と時間を十分与えてくれている学校が大切だとわたしは思います。

 

さらにわたしは、少しでもよりよく生きるため・社会課題の解決のためには、自分の頭で考え続けることが大切だと思っています。

社会課題の解決のためには、まず社会やその課題について知り、課題のどこに本質があるのか、いったい誰が困っているのか、どうしたらその人が幸せになれるのかといったさまざまな角度から、真剣に粘り強く考える能力が必要です。

社会そのものの仕組みを学んだり、社会課題をとらえて解決するための能力を磨くのが学校なのです。

 

まだ学生のみなさん。

これを機に、もうちょっと学校の勉強の意義、見直してみませんか。

与えられたものをうまく利用して、あなたの成長につなげてほしいと思っています。