jump-button

taliki

「知らなければよかった」なんて言わせない

中村 多伽 2017年5月1日
  1. TOP
  2. コラム
  3. 「知らなければよかった」なんて言わせない

さて、このメディアは、「社会課題を知って、考えて、行動する」きっかけを作りたいと一人のちっぽけな人間が思い立ち、始まりました。

この「知る」いう行為ですが、実はちょっと曲者です。

 

「世の中知らない方が幸せなこともあるんだよ」

よく聞く言葉ですが、皆さんはどう思いますか?

 

これって「基本的に知ってた方が幸せ」という前提に基づいているのかな?とか。

「知らないで幸せなことの方が多いんじゃないの」とか。

さて、いきなりですが、ここで早速極論言わせてください。

「人間に知識があろうがなかろうが、幸せと感じる人は幸せだし不幸せだと感じる人は不幸せです。」

知識があれば幸せになれるなら幼稚園生はみんな不幸になるはずだし、世に溢れている「幸せになるための7つのルール」的な本は必要ありません。

 

ではなぜtalikiはあえて”社会課題を知らせる”という行動をとるのか?

今日はちょっぴり私たちの信じる「知る力」についてお話したいと思います。

 

「知る」ことが何の力になるのか

私自身、つい数年前までは「知ることで不幸になる説」の大ファンでした。

例えば、ニュースです。

どんな事件が起きた、何人が殺された、経済が大変だ、などなど…

知れば知るほど悲しくなることが世の中に溢れています。

「私には関係ない」と目を閉じた方がよっぽど楽で、幸せだと思っていました。

 

ところが数年前、たまたまカンボジアに教育支援や小学校建設を行うプロジェクトに関わってしまい、

日本に慣れた私は大変理不尽なカンボジアの現状を目にすることとなりました。

私が最初にカンボジアに小学校を建てた場所は

「政府が道路を作るためにそこにあった公立の小学校を壊し、子供たちの行き場が突然なくなったが、政府として再建の予算はない」

という状況でした。

 

しかし、不思議と私は悲しくならなかったのです。

むしろワクワクしました。

それはなぜか。

 

一言でいうと

「問題を目の当たりにすると同時に、自分がその問題を解決する手段の一つも同時に知っていたから」

です。

 

カンボジアの場合でいうと、その理不尽な状況を知ったと同時に、

「じゃあ私たちに出来ることは小学校建設ではないか?」と考え、

現地の自治体や大工さんと協力しながら、なくなった校舎の分を建てました。

この学校建設が、”解決する手段の一つ”です。

 

人間、知ると不幸になることがあります、と冒頭で言いました。

なぜかというと、それは同時に「知っても解決できない」と思うからです。

 

たとえば「気になるアノ子に彼氏がいた。」

という話は、知らない方が幸せだったかもしれません。

それは略奪愛のテクニシャンでない限り、「アノ子とは付き合えないから諦めるしかない」と思ってしまうからです。

 

しかし、もし「でもその子は別れる寸前で、自分のことを実は気になってる」

という情報も合わせて知っていたら?

「それならアタックしてみよう」とか、

「もうちょっと様子を見てみよう」とか、違う手段を考えることが出来そうですよね。

そうなると見える未来が全く違ってきませんか?

 

もう一つ身近なたとえ話をします。

風邪をひいたとします。でも皆さんはそれで「風邪を知らなかったら良かった…」とは思いませんよね。なぜなら風邪が良くなることはこの世界では当たり前だからです。

「薬を飲もう」「安静にしよう」「悪かったら医者に行こう」となります。

 

しかし「風邪が良くなる」ということを知らなかったら?

もしかしたら「私、風邪をひいた。死ぬかも」と思うかもしれません。

「死ぬなら安静になんて出来ない、死ぬ前に孫の顔を見させてくれ、祖国に帰らせてくれ」と暴れて悪化させて本当に死ぬかもしれません。

 

問題と同時に、その解決手段があるということも知っておくこと。

 

それが「知る力」の本当の意味であり、talikiが提供したいものなのです。

next page →問題の向き合い方とは・・?

WRITER

中村 多伽

京都大学総合人間学部

文化人類学専攻。カンボジアへの教育支援、ニューヨークへのビジネス留学や現地の報道局でのインターン、舞台・映画・ライブへの出演等を通して、「マスを変えること」に興味を持つ。taliki代表。

関連記事