「死にたい」から救われて

最初に、talikiに入ってからときどき絶望する、と書いたけれども、

同時に、talikiに入って、救われたなあとも思っている。むしろこっちのほうが思いとしては断然強い。

 

世の中なんにもいいことない、と思っていたのに、

その世の中を頑張って変えようとしている人たちがいる

ただ生きていくことがしんどい人もいるってことを、理解してくれている人たちがいる

わたしは、そういう人たちがいてくれることそのものに、救われた気持ちになる。

talikiに載せるために上がってきた記事を読んで、感動して泣きそうになったこともある。

絶望するたびに、ほんの少し、そのうしろに希望を見る

 

それに、talikiで自分がなにかをすると褒めてくれる人がいて、面白がってくれる人がいて、

喜んでくれる人がいる。

好きだと言ってもらえる。

 

ただいるだけでは価値がなかったわたしが、

ちょっと頑張ってみたら、ものすごく仲良くしてくれる人たちに出会えた。

誰かを幸せにできるかもしれない、

自分にも価値があるのかもしれない、

わたしももしかしたらちょっと「できる」人なのかもしれない、と思うようになった。

 

入ってよかったなあと思ったらぽろぽろ涙が出るくらい、

入ってよかったなあと思っている。

talikiメンバーと、ミーティング後に食事。

こういう体験をほかの人にもしてほしい

わたしがtalikiに入って感じた「救われた」という感覚を、ほかの人にも持ってほしい。

 

人のために動くことで自分も幸せになった!と思う人が増えたら、

きっと誰かを幸せにして自分も幸せにする循環がたくさん生まれて、

それによってよりたくさんの人が幸せになれるんじゃないかと思う。

 

世の中やっぱりいいことって少ないかもしれない。

今も苦しんでいる人たちが大勢いて、全員救うことなんてできやしない。

 

それでも、少なくともわたしは、talikiに入ったことで救われた。

誰かのために頑張っている人たちの「少しでもこの世を生きやすくしたい」という思いそのものが、つらい世の中を生きていくうえでの希望の光になった。

 

わたしの目に入る範囲すべてが幸せだったことは、今までない。

視野が広がったこれからは、なおさらないだろうなと思う。

でも、生まれてしまったからには、絶望してるばっかりじゃなくて、

広がった視野の中に差してる光を信じてみてもいいんじゃない?

生きてたらいけない人間なんて、この世にいないんだし。

 

今死んでもそんなに後悔はないかなあ、と思う。今でも思う。

でも、やっぱりちょっともったいないかなあ、という気がしてきた。

わたしが誰かの救いになるなら、死んじゃうのはもったいないかもしれない。

 

talikiもまだまだこれからという今の段階で、こんなに救われたなあと思うなら、

これからもっと自分の力で目に見えて人を幸せにできたとき、

わたしも自分を認められるようになって、めちゃくちゃ幸せに生きていけるのかもしれない

 

それに、今わたしには死んでほしくない大事な人たちがいて、

いつかその人たちに苦しみが降りかかるときが来たら、

わたしが絶対に一緒に戦おう、と勝手に思っている。

 

そして、人の苦しみをやわらげるために頑張っている人たちのためにも、

わたしは、この世をもっと生きやすくするために、

わたし自身が誰かのになれるように、生きたいと思う。

今苦しみながら生きている人たちにも、こんなふうに思ってもらえるように頑張らなくちゃ。