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社会問題の解決は「自分のため」である【元ディズニーキャストが語る幸せな生き方】

taliki編集部 2017年10月15日
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初めまして。宮内航と言います。

まずは簡単に自己紹介を。

好きなことは食べることと映画を見ること。

あと小さい頃からヒーローが大好きで、好きな番組は仮面ライダー。

高校時代、アメコミにハマり、今でも僕の人生のバイブルはクリストファー・ノーラン監督の『Batman Begins』です。

8月で23歳になるので、一般的にはこの前の4月から社会人生活スタート……の予定だったのですが大学3年次に「このままじゃ大学の就職課の言いなりになってしまう!!!」と危機感を覚えて海外インターンシップの説明会に参加、直後休学を決意。

東南アジアにインターンの予定だったのですが或る日突然「アメリカ・フロリダ州にあるウォルト・ディズニー・ワールド(WDW)」で働くという選択肢に出会い、面白そうじゃんと思ってなんとなく応募したところまさかのまさかで合格し、WDWにあるEpcotというパークの日本パビリオンでキャストメンバーとして働いていました。

今日は「社会問題」をお題に話そうと思うのですが、社会問題だなんて聞くと壮大で何をしていいのかわからないなあ…だなんて思う人も少なくないと思います。

僕は高校生の時に「貧困」の問題に興味を持ってそれが解決できる仕事がしたいと思っていたのですが、そもそも大きな問題過ぎて何から始めていいのか、自分はどんな関わり方をしたいのかが全く想像できていませんでした

そんな風にずっと思いながらサークル、インターン、学生団体、英語演劇などなど色々手を出して月日は経ち、大学3年の春休みから岩手県・陸前高田市広田町での町おこしに関わりました。

そこは過疎化・高齢化する小さな漁師町。その町に住む一人一人の方のお宅を半年間回り、関係を築き、「〇〇さんのために」と相手を明確に定めて活動して、ひとつ大きな気づきを得ました。

 

それは「大きな問題の中には困っている多数の[個人]がいて、その一人一人と真摯に向き合っていくことで問題は解決に向かうんだ!」ということ。

当たり前のようだけれど、僕にとっては大きな発見であり、希望でした。まずは何事も自分が影響を及ぼせる小さなところから。

だから今回、僕が提案するのは「社会問題を解決するミクロな生き方」

社会問題の紹介とか活動とか具体的なことは他の方が書いてくれているのでぜひそちらをお読みください(笑)(中には今僕が言ったことと対極のことを書いていらっしゃる方がいて、面白いのでぜひ https://taliki.org/archives/327

日本とアメリカに触れて選択した、難しい生き方

僕が目指している姿は「自分と相手のどちらも大切にする生き方」です。

どちらも大切にだなんて欲張りだ!と思う人もいるでしょう。

実は前の誕生日、「人生は本質的なことだけをすべき」と書かれた本を弟がくれて、いろんなことに手を出してキャパオーバーに陥っている僕をよく見ているなあ、なんて思ったのですが。笑

もちろん本質的なことをすべき、と言う意見を否定するつもりはありません。

ですが「周りの人を大切にする生き方」と「自分の意見や意志を貫く生き方」、二元論に陥りがちなこの考え方からひとつ選ぶのではなくて、最も難しいであろうそのどちらも取る中庸の道を格闘しながら進みたいと思ったのです。

 

なぜそう思うか。

 

僕は、これこそが自分の人生と周りのコミュニティ、牽いては社会すらも豊かにする考え方だと思うからです。

 

日本で生まれ育ち二十数年、僕は同調圧力の強いこの国の国民性がとても嫌だった。

昔からやることひとつひとつに人一倍時間がかかる気質だったり、通っていたピアノ教室では覚えが遅くて毎回怒られ続けたり、他の人のようにうまくできない自分に劣等感を抱えていたこともあって、自分はマイノリティだと思って生きてきました。だから数の多い方が正しいとか、よくわからない誰かが作った流行り廃りだとか、誰かに便乗して批判が相次ぐニュースだとかを目にすると居心地の悪さしかなかった。

「日本の多くの人が気にするのは、自分がどう思うかより周りがどう思うか。」

それは一体誰のための人生なのだろう、とよく思っていました。

 

でもアメリカに来てから振り返ると、それは日本の良い一側面でもあるなと思えるようになったのです。

(ひとつ、国民性の話をする前に断っておきたいのは集団の性質とはあくまでも「傾向」であって全員が全員そうではないと受けとめてほしい、と伝えさせて頂きたく、その上での話なのですが。)

アメリカで通勤のバスに乗っていたある朝、入口付近が混雑してしまって運転手が立っている乗客に「後ろへ詰めて!」と叫んだのですが何人たりとも動かず、と言うことがありました。笑

日本ではあまり考えられない光景を目にした気がして結構衝撃を受けました。

日本だったら誰から何も言われずとも自発的に詰めていく人が幾人かは居そうなものです。

常に「周りの誰か」のためだなんて気持ちが悪いと思っていたけれど、そうやって思えるのは当たり前なんかではなくて、関わりのない誰かを気遣えるなんて素敵なことなのかも、と初めて素直に思えたのでした。

 

一方、アメリカでは周りの人ではなく「自分がどうしたいか」、もしくは「自分と、一緒にいる仲間が何をしたいか」という非常に自分寄りの部分を大切にする人が多くいるように思います。

日本的な視点で見ると、自己中心的。

でも彼らは「自分たち」を大切にするからこそ、他の人たちも「その他の人たち自身」を大切にすることを受け容れているように感じるのです。

例えば日本のスタバでMacを使っていたら「なんだあいつカッコつけやがって」だなんて思われるかもしれませんが、

アメリカのスタバでは「あいつがカッコつけたいならいいんじゃね?あいつはあいつで関係ないし」みたいな感じでしょうか。

(ちなみに今僕はアメリカのスタバでMacを使ってこれを書いています。笑)

直接関わり合いはしなくても、無意識下で他の人の意見を尊重している

自分は自分、他人は他人と割り切っているからこそ多民族国家が成立するのかもしれない、と思ったり。

 

これら一つの考え方しか知らなかったら、その一方に染まる他なかったかもしれません。

でも恵まれたことに僕はこれら二つの考え方に触れ、どちらの良い面も悪い面も感じることができました。ならば、その二つの良い面も持ち合わせた人になりたい。

自分だけでなく、他の大勢だけでもなく、どちらも大切に。

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社会課題を身近に、楽しく、カジュアルに伝えていくことをモットーにしつつ、真剣に、追い込まれながら記事をアップしています。記事に関する感想、疑問、その他コメントは下のお問い合わせからお送りいただけます。

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