もし目の前に100人の困っている人がいたら?

100人を救うシステムのための一歩目、『明日の食事に困らない暮らし』

システムの構築と運用と言っても漠然としていて、帰国してからもずっと、自分なりの具体的な答えを考え続けました。

私は看護学を専攻しているので、どうしても関心は健康問題に向きがちなのですが、貧しい家庭ではその日食べる物にも困っていて、主食と主菜と副菜をバランスよく、なんて言っている場合じゃないんです。手に入るものを食べるので精一杯なんです。

民族性の問題もあるのでしょうが、カンボジアの子どもは、同年齢の日本の子どもに比べて3,4歳は幼く見えます。そのくらい、栄養状態が悪いのです。

そういうわけで、今のところの結論は、「私がやるべきことは目の前の1人を助けることではなくて、生活を支えるために働かざるを得ない子どもたち、そしてその家族に『明日の食事に困らない暮らし』を保障すること」です。

日本の子どもたちは、「大きくなったら何になりたい?」という質問に慣れています。スポーツ選手とか、警察官とか、幼稚園の先生とか、お姫様とか、多種多様な答えが返ってきます。

一方、カンボジアでは、学校に通えている子どもたちならお医者さんとか、学校の先生とか、様々な夢を持っているのに対し、観光地で働いている子たちは「外国語を勉強してツアーガイドになりたい」という答えが多かったです。

初めてそれを聞いたとき、この子たちが見ている世界はあまりにも狭いと感じました。

私は、カンボジアの子どもたちにも、日本の子どもたちのように将来の夢を持ってもらいたい、自分には無限の可能性があるのだということを知ってもらいたいです。

けれどもそのために、まずは、『明日の食事に困らない暮らしを保障する』

それは、子ども同士で遊んだり、学校で勉強したりといった、日本では当たり前のことに繋がると思っています。

『当たり前』が大切であることを垣間見た医療現場

でも、その『日本では当たり前のこと』を保障するのって、すごく難しいです。

その後も幾度かカンボジアに足を運ぶと、特に農村部では医療へのアクセスが悪いことを知りました。

ちょっとした怪我や症状の軽い病気なら、自然治癒を期待して放置するのは日常茶飯事です。放置しても駄目なら、呪術的治療に頼ります。

呪術的治療とは、コインで患部をゴシゴシ引っ掻くことです。そうすると患部の垢が落ちていき、「(訳し方が正確ではないかもしれないが)悪魔が出ていった」と患部を指差して言うのです。

呪術的治療を受けた人の皮膚を見せてもらいましたが、赤いみみず腫れが無数にありました。「こっちは数年前に治療してもらったところだよ」と見せてくれた背中には、ケロイド状の傷跡がありました。

呪術的治療も効果がないとなると、薬局で症状を伝え、適当な薬を買います。この「適当な」というのがクセ者で、「適切な」薬ではないことが多いようです。

症状に合わせて鎮痛剤や解熱剤などを処方するだけで、病気の特定をするわけではありません。対症療法に過ぎないんです。

でも、ここまでで解決するならまだマシ、負担が少なくて済みます。

本当に大変なのは、薬局の薬でもどうにもならなかったとき。

→薬でどうにもならなかったときの、彼らの方法とは?