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もし目の前に100人の困っている人がいたら?

taliki編集部 2017年6月22日
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貧しささえも、この国では商品になる

こんにちは。学生団体for smiles代表の諸岡みおです。

初めてカンボジアに渡航したのは20歳のときでした。

スタディツアーで目についたのは、小学生くらいの子や、幼い子どもが働いている姿でした。

たどたどしい日本語で「おかねがない、おかねがない」と訴える子。

マンゴーやバナナを手に「1ドル、1ドル」と呼びかけ、断るとつたない英語で「あなたがこれを買ってくれないと、私は学校へ通うことができない!」と怒ったような、それでいて泣きそうな表情を見せる子。

やつれたお婆さんが赤子を抱いて、汚れた水の入った哺乳瓶を見せながら、無言で手を合わせてくることもありました。

『この国では、“貧しさ”さえも商品になり得るのか』と、衝撃を受けました。

同時に、今ここで私がマンゴーを買ったところで、この子の生活は何も変わらないのだろうということもわかってしまいました。

きっと、明日も明後日も果物を持って、観光客相手に同じことを繰り返していくのだろうな、と。

それがとても歯がゆかったです。

ツアー中、参加者同士で議論をする時間がたくさんありました。

そのとき議題になった一つが、『もし目の前に100人の困っている人がいたら?』というもの。

自分には1人しか助ける力がないとして、あなたならどう行動しますか?

仲間を99人連れてくる、と答えた人がいました。

その答えは、私にとってあまりにも純粋すぎるものでした。人的資源やお金があればどうにかなる問題というのは世の中に数えきれないほどある。でも皆が皆、そういう問題に関心があるわけではありません。そんな中で、100人を救えるだけの仲間を見つけるのはとても難しいことでしょう。

また、ある人は、誰かを選ぶことは誰かを見捨てることだと教えてくれました。99人を見捨てた上で、1人を救えた喜びと、他を救えなかった痛みを覚えておくことが大事なのだと。

他の人を救えなかった痛みは、私自身の経験や価値観を豊かにするには役立つでしょうが、残された99人にとっては何の価値もないように思えました。

「目の前の1人を笑顔にする」という局所的な援助は偽善じゃないか、1人を助けたところで、世界はたいして変わりはしないし、ただの自己満足なんじゃないか、と。

1人を救うって、言葉にしてしまえばたいしたことではないように聞こえるかもしれません。しかし、その1人には家族がいて、地域社会との繋がりがあって、それで初めて生活が成り立つのです。1人を救おうと思ったら、その背後にあるすべてを救わなければならない。

それはつまり、100人を同時に救うことであるし、そのために必須なのは人海戦術でも投資でもなく(もちろん、それらが必要なことも往々にしてあるでしょうが)、100人を救えるシステムの構築と運用であると思っています。

→100人を支えるシステムの一歩目とは?

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taliki編集部

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社会課題を身近に、楽しく、カジュアルに伝えていくことをモットーにしつつ、真剣に、追い込まれながら記事をアップしています。記事に関する感想、疑問、その他コメントは下のお問い合わせからお送りいただけます。

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