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京大生、林業始めるってよ

加藤 翼 2017年5月21日
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不合理性を受け入れられなければ、世界は崩壊する?

また別の観点で、「効率」と「合理性・不合理性」について考えようと思います。

不合理性を排除した社会は成り立たないのではないかと感じることもあります。

「不合理」なものを排除しようとすると、「他者」も排除することになる、と先ほど言いました。しかし、「不合理」なものは「他者」だけではありません。

人と同様に「不合理な存在」。それは、「自然」です。

天気や災害をすべて予測できないように、「自然」も人間の思い通りになる存在ではありません。その最たる例が、東日本大震災です。当時、「想定外」という言葉が、TVからよく流れました。あの津波は予測できる範囲のものではなかった、と。近代以降、西洋科学の急速な発展のために、このことを忘れていたのではないかと思います。あるいは、人間を超える自然の力を認めずに、より大きな力でコントロールしようとした、と言ったほうが正しいでしょうか。あの津波は、決して計り知れない自然の力、世の中すべてが人間の思い通りにならないことを教えてくれたのではないかと思います。

しかし、その教訓はあまり生かされていないように思えます。原発事故のあと、停止した原発はまた徐々に再稼動を始めました。東北の太平洋側の沿岸部では、10メートルを超える防潮堤が建設中です。ともすれば、海は僕たちに危険を及ぼします。その危険を海に親しむことで知ろうとするのでなく、逆に海と人を分断する方向へと舵をきりました。いま、東北の沿岸部を走っても、海などほとんど見えません。人の予想を超える自然に対して、またさらにより大きな力で押さえ込もうとしているように見えます。「不合理」な自然を排除しようとしているのです。

photo by 前川知紀

では、本当にそれで良いのでしょうか。街なかに住んでいると、当たり前に手に入るので意識しなくなりがちですが、人は自然がなければ生きていけません。僕たちが生きる上での、空気、水、動植物の命、それらを支える土は、すべて自然の中で生まれます。

しかし人が自然から離れ、その存在を排除すると、自然を省みることがなくなり、気の赴くままに資源は利用されるでしょう。しかし、自然が生み出すものは、すべて長い時間をかけて循環することで生み出されており、生産よりも消費が大きくなれば、持続可能ではなくなります。

実際にいま、日本の山は荒れ、海の資源は乏しくなり、気温は上がるばかりです。

(出典:気象庁HP)

そのような環境がさらにひどくなれば生きていけません。ましてや、世界の人口がどんどん増える中で、このままではますます豊かな自然環境はなくなっていくと思われます。現状を変えなければ食糧問題などは避けられず、国同士の対立が深まり、最悪の場合は戦争が勃発する可能性もあるのでは、と漠然と思っています。

 

未来の世代になにを残すのか

僕たちの命、暮らし、社会を根底から支える「自然」が放置されるいまの時代に必要なのは、「効率的なこと」ではなく、「未来に価値のあるもの」だと思います。

競争原理の中で、効率を重視していれば、どうしても短期的な成果に目がいきます。誰よりも早く成果を出さないと意味がないからです。また、早く結果を出さなければ、お金も集まりません。しかし、これが行き過ぎると、長期的な視点が薄れ、現在での成長を追い求める代わりに、未来を犠牲にしてしまうのではないかと思います。

日本は戦後、高度経済成長を成し遂げ、目覚ましい発展を遂げました。しかしそれから20年経ったいま、日本では「持続可能性」という言葉が多く聞かれます。

なぜいまになって、「持続可能性」を掲げるのか。それは、いままでの成長が持続可能ではなかったからに違いないのではないでしょうか。もし持続可能的であったならば、いまになって改めて「持続可能性」を声高に叫ぶ必要はないからです。ということは、世界でも類を見ない高度経済成長は、決して持続可能的な、つまりずっと続くものではなく、未来の資源を先取りすることで達成された成長だということです。その象徴となるのが、例えば原発です。いまを便利に生きるために必要な電気、それを賄うために原発は動いています。しかしその結果残るものは、何万年と地下に保存しなければ安全にならない核のゴミです。そしてその処分先は未だに決まっていません。

「効率」や便利を求め続けた結果、未来の世代には負の遺産が残ります。本当にそれでいいのか。改めて考え直すべきだと思います。

 

僕がいま、やりたいこと

いままで、僕はつらつらと、「自分の大切なもの」と「それを大切にしながら生きる方法」について書いてきました。その中で、いま、やりたいことがあります。

それは、林業です。

僕たちは自然がないと生きていけません。僕の命も、僕の住む社会も、僕が暮らす国も自然がなければ成り立ちません。それを自分のなかで、実感として持ちながら、生きていきたいと思いました。当たり前のように存在するものに対する感謝、それを心の片隅に留めておきたいと思いました。

僕は、未来に、価値あるものを残したいです。自分だけ優雅に暮らし、自分の子どもにその代償を押し付けることはしたくありません。

林業は、他の産業に比べてはるかに長い視野で考える必要があります。一本のスギが大きくなるのに、50年必要です。自分が植えた木を、自分の子孫が伐採する仕事です。その意味で、素晴らしい産業だと思います。林業を通して、僕は未来に、豊かな森を残したいです。

人を大切に生きる方法は、まだわかりません。ただ、林業、そして自然と付き合っていくなかで、思い通りにならないことに悩み、怒り、やりきれない思いを受け入れ、それすらも楽しみながら、抱きしめて生きていける人間になりたいなぁと思っています。

言葉では簡単ですが、まだまだ僕は未熟で、これは一生をかけて向き合っていくことなのだろうなとなんとなく思います。

photo by 前川知紀

終わりに

長々と、お付き合いいただき、本当にありがとうございました。

これだけ長い文章、読んでくださっただけで感謝の嵐です。

また、自分の考えをこれだけ言うと、なにかしら感想を聞きたくなるものです。もしなにか、感想や意見があればこちらまで是非、お寄せください。反対意見なんかでも構いません。

僕の書いた文章が、少しでも役に立てたり、考える種になれば、これほど嬉しいことはないです。

WRITER

加藤 翼

加藤 翼

京都大学総合人間学部

カンボジア小学校建設プロジェクトで3年間活動。その後1年休学し、東北のNPOでインターンとして、農業漁業の世界を消費者に伝える仕事に携わる。自分を生かしてくれる他者と周りの環境に気づき、それらを大切にしながら生きていける方法を模索中。

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