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【インタビュー】カンボジアに学校がないことはなぜ問題なのか

taliki編集部 2017年5月18日
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カンボジアは、かつて東南アジアのパリと言われていました。ところが1970年代後半のポルポト率いるクメール・ルージュという政党の独裁政権により、教師・医師などの知識人層が大量虐殺されました。また、学校も破壊されたり、軍用施設に転用されたため、教育システムは崩壊しました。人口増加率も依然として高いために、今でも教室や教師の絶対数が不足しています。

一方で、日本では映画「僕たちは世界を変えることができない。」などでカンボジア支援ブームが一部に巻き起こり、その反動で「本当にカンボジアに学校って必要なの?」と、カンボジア支援の必要性に疑問を投げかける人もいます。

そこで、カンボジアに二校の小学校建設を行い、東京学芸大学で「教育」を学んでいる香山太輝さんにお話を聞いてきました。

ひょんな思い立ちからカンボジアの小学校建設に関わることに

―こんにちは。自己紹介をお願いします。

香山太輝、大学四年生です。東京学芸大学の教育学部の国際教育選修というところに通っています。ご縁があって大学二年生くらいからDOITという団体でカンボジアに小学校建設をさせていただいていて、この前の三月にCholumoi(チョルモイ)という自分で立ち上げた団体で、自身として二校目の小学校を建設しました。今は大学院に進学を考えているので、その準備をしています。

―活動内容について教えてください。

「人と繋がり、明日へ継ぐ場所をつくる」というミッションを掲げ、カンボジアの農村地域にある小学校の校舎増設をするというプロジェクトに取り組んでいました。

 

―国際協力に興味を持ったのはどうして?

高校の時に、ずっと俺サッカーしかしてなくて。幼稚園から始めて高校一年までやってたんですけど。なんで途中でやめたかっていうと、中学の時の友達に会う機会があって。もう社会に出てるやつらの話が超面白いんですよ。で、「たいき何してるの?」ってなって、「いや、部活と勉強」みたいな。「俺超つまんないな」ってなって。人に話せる経験をしたいなーと。とりあえず外国に行くことかなあ、とか、ボランティアとかかなあと思ったんです。それには英語が話せなきゃいけないと思って、英会話やったり、高校二年の夏にアメリカに三週間だけ行ったりました。

で、その当時思っていたことがもう一つあって。それが、「幼稚園の園長先生になりたい」ということでした。俺ならもっと面白い教育が出来るという謎の自信があって、そのくらいの頃から教育に興味がありました。だからボランティアも教育の分野でやりたいと思っていました。

香山さんと学校の女の子

―なるほど。そこで香山さんはなんでカンボジアの小学校建設に携わったんですか?

卒業したら青年海外協力隊に行こうかなあとか思っていて。でも、学生のうちからカンボジアに学校建設してる人たちがいるって聞いて、「出来るならやらなきゃ」と思って始めました。二校目に関しては、カンボジアの知ってるちびっこが「ほしいー」って言ってるのを見て、可愛すぎてプレゼントしたくなっちゃったみたいな。ただ正直、完成するまで「本当に必要なんだろうか」とずっとモヤモヤもしてました。(笑)

「学校に行けないことは本来なら別に問題じゃない」!?

―確かに、カンボジアには小学校が足りないといって学校建設をしているNPOや学生団体がたくさんありますよね。小学校がないことって、そもそも何が問題なんだと思いますか?

俺が思うのは、「人間は学校に行って教育を受けなきゃいけない」と思い込んでるからだと思うんすよ。学校に行くことが普遍的な前提であるかのように思い込んでる。

なので、学校に行けないことは本来なら別に問題じゃない。

人間の長い歴史で見たら、「全員学校で教育を受けなきゃいけない」という国の制度が出来て、それが世界に広がっていったのは、本当に最近の話で。この当たり前がいつまでも続くかと言ったらそんなこともないと思うし。

―ちょっと脱線しますが、なんでそんな制度が出来たんでしょう?

「制度としての学校」の起源は色んな説があるんですけど、バンジージャンプにあるっていう話を聞いたことがあって。(笑)

ーほう。(笑)

バンジージャンプって何かというと、通過儀礼なんですよね。

一人前の大人として認める為に、計画と打算の上で子どもたちに仕掛けて、通過したら一人前となる、という。その通過儀礼をやる必要性が出てきたんですよね。原始時代ウホウホやってた時代は、家族などの小さいコミュニティで「うりゃ」って槍を投げて、自分達の中で完結していたものが、だんだんコミュニティが広がって大きな集団になっていく。一つのリソースに対して集団と集団がぶつかり合うようになってくる。そうなったら戦わなきゃいけないし、勝たなくてはいけない。そのためには戦う人を強くしていかなくてはいけない。その強い人間を計画的に作ろうというのが、「制度としての学校」のような「計画的、組織的な教育」の始まりであると。教育を受ける側と言うより、受けさせる側、今でいったら国家とか産業社会が、それに適応する人材を育成するための手段として教育を捉える考え方です。

―「計画的、組織的な教育」ですか?

教育という概念も色々分けられるという話を聞いたことがあります。

たとえば「(計画的)組織的な教育」「機能的な教育」

前者は、学校教育のような、誰かが明確な意図をもって教育する。教育する側が主体となっている形。

「機能的な教育」は、人間が2人以上いる時点で自然に営まれるような教育です。たとえば原始時代みたいにわざと何かを教えるということがなかった時代に、父ちゃん母ちゃんが狩りをしているのを見たりその現場に行くことで、学んで、それが結果的に教育となっている。

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