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あなたの人生に、溢れんばかりの声援を #ちあちあ

中村 多伽 2018年8月7日
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「私は今幸せだろうか」

よくある問いだが、意外と答えるのは難しい。
無難に返そうと思うと、「そうだね。まあ時と場合によるかな」みたいな感じになるだろう。
幸せではないとは一体どういうことなのだろうか。

私の会社(taliki)ではコワーキングスペース「タリキチ」を運営しているが、日々色んな人が相談にやってくる。
「就職先が決まらなくて情報商材に手を出して借金まみれになった」
「金遣いが荒くて大嫌いな風俗のアルバイトが辞められない。いつもお客さんが来ないといいな、と思いながら出勤する」
「親に人格ごと否定される。私なんか生まれてこなければよかった」

彼らは一見普通の大学生だったりする。
むしろ、大学生活を楽しんでいるような、人生を謳歌しているような、そんな雰囲気さえ漂っている。
けれども彼らは私に対して明確にSOSを発していて、もし私が突き放したら、帰りの駅のホームで自分の身を投げ出してしまうのではないか、という不安に駆られるほど、深い絶望を内に抱えている。

起業家支援をしていても同じ場面に出会う。
周りから見ると「頑張っててすごい人」だとか、「理想を追い求めるキラキラした人」のように見える起業家たちも、実際の話を聞いてみるとうまくいかないことに毎日押し潰されそうになりながら、自分の存在意義を問いながら、這いつくばるようにして活動している。

ただ、それは彼ら自身が発信しない限り、誰も気付かない。

もしかしたら、電車で前に座っている人も、さっきすれ違った人も、レジを打ってるスーパーのおばちゃんも、普通に生活を送っている平凡な日常の登場人物のように見えて、本当は皆何かしらの絶望と今日も孤独に戦っているのかもしれない。

「死にたいと言うことは生きたいのに生きられない人に失礼だ」という言葉が私は大嫌いだ。
「辛い」「死にたい」と思うことをやめられるものならこっちだってやめたい。けれども誰か”カワイソウ”な人と比べて感情に蓋をすることなんて何の解決にもならないし、比べた相手を勝手に不幸者扱いしていて失礼だ。

感じてしまうことがやめられないのであれば、我慢するのではなく、心地よいと感じること、誰か助けてくれる人がいると感じることを、健康的にかつ貪欲に求めていいはずだ。

ここで、もう一つの問いが浮かぶ。
「私は誰か助けてくれる人がいると実感できているのか」。

人と人は支え合って生きている、と言うととても陳腐に聞こえるけれども、実際それぞれの役割分担が為された社会の中で呼吸をし、食べ、眠り、生きている。

他者に必要とされること、他者に認識されることが、明日もまた生きる意味になる。
だから、私は深い孤独と絶望に光をもたらすことが出来るのも、また人間であると信じて疑わない。

そして同時に、人間が完全に分かり合うことは不可能だとも思っている。
そのロジックは単純で、自分自身でさえ自分のことが分からないからだ。
他者が私の刻一刻と変わる精神世界を把握するなんて到底無理だ。

それでもなお美しいと思うのは、人間は相手のことを完全に分からないなりに、理解しようとし、愛そうとし、相手の幸せを願えるところである。

だから私は「誰も私のことなんて分かってくれない」「私のこと知らないくせに好きとか言うな」「私はたった1人で頑張ってる」と思うこともあるし、それが原因で孤独と絶望に苛まれることもあるけれども、それでも私自身が他者を愛し支えようとするのと同じように、誰かがまた私を分からないなりに愛し支えようとしているのだろうと思いを馳せる。

と、ここまで考えたところで、この「思いを馳せる」という行為をしなくても、もっと手軽に誰かが自分を想っていることを知れたらどれだけ救われるだろう、と感じた。
例えば「死にたい」と思った時に、「あなたのことを見てるよ」「あなたの成功を願ってるよ」と言われることや、その状態が可視化されていることが、どれだけ心のセーフティネットになるのだろうと。
「誰かが想ってくれているのだろう」と自身の想像力に委ねるだけではなく、すぐ相談相手が見つかったり、思いも寄らない人が自分を応援してくれていることに気付けたりしたら、きっと深い絶望や孤独な戦いからもっと早く解放されるのではないか。

そう考えて本日リリースしたサービスが「ちあちあ」だ。

ちあ、はご想像の通り英語の”cheer=声援”から来ている。
コンセプトは「あなたの人生に、溢れんばかりの声援を。」

TwitterやInstagramで「〇〇を頑張りたい」「〇〇が辛い」と言っている人を見ると、「頑張ってるなー、応援してるよ」と心の中で思いながらも、わざわざコメントするのもなんか違うかな、なんて言っていいか分からないし、むしろそんなの求めてないかも、と色々考えてスルーしがちだ。しかし、ちあちあを使って宣言されたものには気軽に手軽に「見てるよ」「応援してるよ」と伝えることが出来る(こんな気軽で手軽な応援者のことをサービス内では”ちあらー”と呼んでいる)。

頑張り宣言をする人「ふぁいたー」は、どんな頑張りでもいいので気軽に宣言して欲しいと思い、シンプルな宣言UIを作った。「毎日ジムに行く」でもいいし、「今日は部屋の掃除をする」でもいいし、「自身のプロジェクトを達成する」でもいい。とにかく誰かが見ていて、応援してくれていると思うだけで促進力となる。また、頑張った時も頑張れなかった時も「おたより」で報告することによって、周りの人にさらに応援してもらったり相談を持ちかけることが出来る。

今後の展開

今は単純にTwitterのAPIを利用し、SNS上で声援を集められ相談できる機能だけ実装してあるが、「ふぁいたー」に提供されるべきリソースは他にもいくつかあると考えている。
それをトークンのような形で実装しながら、「応援者=ちあらー」が人を応援すればするほどトクをするようなインセンティブ設計を行い、iOSやAndroidなどのアプリも年内にリリースすることを視野に入れ開発を行なっている。
(開発側からの切実なお願いとして、率直なフィードバックやバグなどがあれば適宜「#ちあちあ」で教えてくださるととっても助かります。私たちは、皆さんにとっての一番の「ちあらー」でありたいと同時に、皆さんと同じ「ふぁいたー」でもあります。笑)

また、適宜ユーザーの皆さんへの愛を追加機能という形でお届けしたいと考えている。追加リリースをお楽しみに!

さて、長くなったので。
最後に手前味噌になりますが、弊社のメディア編集長が書いた、私たちtalikiの絶望と希望を詰め込んだような記事を引用して終わります。

”ちあちあ”があなたを受け止め、背中を押すサービスでありますように。

『人の世に熱あれ、人間に光あれ』
1922年、京都の岡崎公会堂で被差別部落民による全国水平社の創立が高らかに宣言されてから、もうすぐ100年が経とうとしている。

しかし、時間が経ったからといって、部落差別がなくなったわけではない。

2000年以降にも、部落差別に関する事件や裁判は起きている。
2011年にはある司法書士が戸籍謄本を不正に取得して、部落出身かどうかの身元調査をしていたことが発覚している。

(中略)

差別はなくならない。

部落差別だけではない。
性差別も、障害のある人々に対する差別も、外国人に対する差別もなくならない。
児童虐待もなくならない。戦争もなくならない。貧困もなくならない。

今日もまたひとり、ひとりと、こうしている間に命が消えていく。
人間は無力だ。

世界は変わらない。
地球に人間が生まれてからもう相当時間が経ったはずなのに、ずっと前からある問題がいつまでもいつまでもなくならずに残っている。
そうしているうちに、また新しい問題が生まれる。

人間がいる限り社会問題はなくならない。
この世は地獄だ。

それでも、こんな地獄に生まれてきてしまったあなたに、少しでも「生きててよかった」と思ってもらいたくて、
わたしたちはtalikiを立ち上げました。

人間は自分勝手で愚かな生き物で、この世は苦しみに満ちていて、
それでも、「生きていてよかったなあ」と思ったことのあるわたしたちは、
あなたにも同じ思いを持ってもらいたいし、今どこかで苦しんでいる誰かにもそう思ってもらいたいのです。

そんな大層なことができるのか?と思われるかもしれません。でも、わたしたちは本気です。
人間を救えるのは人間だけ。
できると信じています。

でも、この地球上に住んでいるすべての人々を救うには、
わたしたちの力だけでは到底及びません。

あなたの力が必要です。
どうか力を貸してください。

といっても、大したことはしなくていいんです。
あなたが楽しく、
幸せになりながら、
誰かを幸せにできるように、
わたしたちはこれから走り続けます。

WRITER

中村 多伽

京都大学総合人間学部

文化人類学専攻。カンボジアへの教育支援、ニューヨークへのビジネス留学や現地の報道局でのインターン、舞台・映画・ライブへの出演等を通して、「マスを変えること」に興味を持つ。taliki代表。

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